グラナート・テスタメント
第11話「光海の女神」




一人では寂しい。
だから、二人になって生まれた。
あたくしをいかしてくれるもう一人の『あたくし』。
あてもなく、目的もなく、永遠を彷徨うことの孤独に耐えるために必要なパートナー。
けれど、やはりどこか寂しい。
必要なのはやはり『他者』なのかもしれない。


『人間』、『天使』、『悪魔』、そして下等な『魔物』達。
くだらない。
連綿と繰り返される営み、永遠に繰り返される諍い。
彼らは自分達がもっと大きさな存在に踊らされていることに気づくことすらなく、皆消えていく。
所詮この世界自体、大いなる存在達の暇潰しの遊び場にすぎない。
ならば楽しく踊ろう。
どこまで強く、美しく、激しい踊りで……。



「まさか、このような場所でこのような形で、再びお目にかかるとは思いませんでしたわ」
ビナーは、意識を失い倒れている姉、自らの半身の前に跪く。
姉の頭を自分の膝に置くと、黄金の光輝を放つ両手を姉にかざした。
『そんな形になってまだ生きてるとは俺も思わなかった。お前も俺に挑んでみるか?』
姉をこのような無残な形にした存在が呟く。
予想外、期待していなかったことが起こり、嬉しいといった感じの声だった。
「いいえ、あたくしはお姉様と違って、貴方様を恨んでいませんから」
『ほう……』
ビナーの反応が予想外だったのか、そのことでまた嬉しそうな声を出す。
「貴方様が捨ててくれなかったら、今のあたくし……あたくし達は生まれることすらありませんでしたから。感謝こそすれ、恨んだりなどする気は毛頭ありませんわ」
偽りではなかった。
懐かしさや愛しさ……今感じているのはただそれだけ。
「それにしても、まさか貴方様ともあろう御方が……あんな……と……」
『それを言うな』
少し困ったような、自嘲するような声だ。
『まあ、ただの気まぐれ、酔狂だよ、暇潰しのな』
自嘲から、どこまでも楽しげで意地悪げな笑いに変わる。
「相変わらずなのですね……飽きたらポイですか? あたくし達のように」
ビナーも相手と同じよな笑みを浮かべながら尋ねた。
『なんだ、やっぱり、しっかりと恨んでいるじゃないか?』
そう言うと、楽しげに喉を鳴らす。
『さて、予想外に楽しませてもらったぞ、お前達。礼を言ってやろう』
「あら、貴方様があたくしごときにに礼を言われるなど初めてですわね」
『うん? そうだったか?』
「ええ、間違いなく」
なぜなら、ビナーに対してだけではなく、誰に対しても礼や謝罪をしたことなど唯の一度もなかったのだ……ビナーの知る限り。
「……やはり、どこかお変わりなられたみたいですわ」
『そうか?』
優しくなられた気がする。
以前は、意地の悪さと冷酷さしかない御方だったのに。
『……と、あいつを待たせていたんだったな。お前らもう失せろ。この組織は、あいつの決着がついたら、俺が跡形もなく消し飛ばす』
「そうさせていただきますわ。この組織と心中する義理はあたくし達にはありませんもの。まあ、思ったより居心地の良い場所でしたけど……」
ビナーはいまだに気を失ったままの姉を担ぎ上げた。
『悪かったな、お前らがやっと見つけた居場所を駄目にして』
ビナーはキョトンとする。
今、この御方はなんと言われた?
『悪かった』と、謝罪をされたのか?
「……ホントに、お変わりになられたようですわね」
ビナーは小声で呟いた。
どこか寂しいような気もする、優しいこの御方など気持ち悪いような……でも不快でもというわけでもない。
『何か言ったか?』
「……いいえ。では、あたくし達はこれで失礼させていただきますわ」
『ああ、さっさと何処へでも行け。お前らと俺の縁はとっくに切れている。お前らは好きに生きるといい』
「はい。では、これでさようならですわね……我が君……御主人様」
『今度はもっとマシな主人を見つけろよ』
かっての主の声を背に、ビナーは崩壊する組織を後にした。



森の中の小さな湖。
自分……自分達が生まれた場所によく似ていた。
「……どこにでもある景色ですわ」
珍しい場所ではない。
どこの世界、どこの国にもこんな場所ならいくらでもあるだろう。
けれど、とても穏やかな気持ちになるのはなぜだろう。
もはや、存在もしない故郷に帰ってきたような錯覚を味わえるからだろうか。
ビナーは湖に足を浸した。
「……たまには一人で居るのも悪くないですわね」
いつも一緒に居る姉のケセドは少し離れた場所で、ミーティア達と槍の稽古をしている。
そちらに居ても、自分はすることがないので、散策しながらここまでやってきたのだ。
自分には修行など一切必要はない。
暇な時に、この世界の神聖魔法……神の奇跡?を学ぶだけで充分なのだ。
「あたくし、ここの世界の神々大好きですわよ♪」
なぜなら、信仰心など一欠片もない自分にすら『力』を貸してくれるのだから。
呆れたお人好しな神々だ。

『違うわよ。神聖魔法も所詮、あたしの魔法と同じで自分の内なる魔力、百歩譲って大気中に満ちている魔力を源に奇蹟を起こしているのよ。神など居ないわ。少なくとも、人間に無条件に『力』を貸し与えるような奇特な神はね』

そういえばティファレクトはそんなことを言っていた気がする。
彼女は『神』を嫌っていた。
憎んでいると言ってもいい程に。
彼女の考え方が合っているのか、外れているのかは解らない。
確かなことは一つ。
ビナーの知る限り、無条件で人間に力を貸すような性格の神は一人もいないとこうとだけ……。
特に力がある神ほど性格は最悪になっていくということをビナーはよく知っていた。

『どうもこの世界の『神』の概念はよく解りませんね。国々で常人達が『信仰』している神は、私達の居た世界では『北欧の神々』と呼ばれた一族のようなのですが……実際に、聖職者が力を得るために祈っている『神』は……私がかって仕えていた『唯一絶対の神』のようにも見えます……』
そうでなければ、奇蹟が起きる際に、『天使』の幻影などが見えるのはおかしいと、『天使』という種族であるマルクトは言っていた気がする。


「別に真実はどれだろうと構いませんわ」
どんな神だろうと、自分の内なる力だろうと、力が、奇蹟が行使できさえすればそれでいい。
必要なのは力そのものだけだ。
信仰などというモノは、他者に祈りすがるという行為は、自分に自信が持てない弱者だけが行っていればいい。
「あたくしが余所の国の神に自らの運命を委ねるなど……笑い話にもなりませんわ」
自分が仕える……仕えていた存在は唯一人だけだ。
それも今は昔のことである。
もう自分は誰にも仕えない、誰も信じない。
自らの半身とも呼ぶべき姉を除いては……。
「……けれど」
一つだけ割り切れない存在があった。
組織に居た時、心惹かれてしまった男。
誰よりも強く、誰よりも賢く、誰よりも邪悪な……酷い男。
だからこそ、惹かれてしまったという時点で救いがない。
「あたくしは強いモノが好き……」
弱いモノなど存在する価値もない。
弱いモノなど存在することも許されないのがこの世の絶対法則だ。
『美』も『知恵』も『力』即ち『強さ』である。
美しくもなく、賢くもなく、強くもないモノ……そんなモノは存在しているだけで不愉快だ。
そして、強いモノは大抵が『悪』である。
『善』とは基本的に脆弱なモノだから。
唯一人の例外を除いて。
優しさという甘さを持つモノを、迷いという不完全さを持つモノを『善』だと『正義』だと人々が思っている限りその法則は変わらないのだ。
強く、賢く、美しいものそれが『悪』。


「…………ん?」
心を安らがせる心地よい水のせせらぎの音を台無しにする騒音が聞こえてきた。
「うるさいですわね……」
人がモンスターを狩っているのか、人が人を狩っているのか、どちらにしろビナーにとっては騒音でしかない。
ビナーは湖から上がると、騒音の聞こえてくる森の中に入っていった。



「やっぱり、どこの世界にも山賊さんっておられるのですね」
この世界では基本的に『狩り』といえば、モンスターを狩ることを指すようだが。
「べつにあなた方がどんなに低俗で醜い行為をしようがあたくしの知ったことではありませんが……あたくしの気分を台無しにした罪は重いですわよ。聞いていらっしゃいますの?」
ビナーが尋ねるが、相手から返事は返ってこなかった。
体中を穴だらけにされた死体や、輪切りにされた死体が喋れるわけがないのである。
「まったく、美しい森が下衆の血で汚れてしまいましたわ」
ビナーは両手に持っていた半透明な布切れを振った。
布切れから僅かに赤い液体が飛び散る。
「久しぶりなので、あまり上手く扱えませんでしたわね……やはり、こちらを使うべきでしたかしら?」
ビナーは、近くの木に立てかけておいたモーニングスターを手に取った。
「ふぅ…………てりゃああああああ!」
凄まじい音をたてて、鉄球が一つの死体に叩きつけられる。
「……やはり、この武器は重すぎて上手く扱えませんわね」
自らの基本装備にするにはまだ経験が足りないようだ。
「丁度良いですわ、少し練習していきましょう」
それからしばらく、森の中に鈍い音が響き続けた。



男は森の中を駈けていた。
信じられない光景を見た恐怖を振り払うかのように走り続ける。
十人前後の山賊に囲まれ、死を覚悟した時、彼女は現れたのだ。
両手に羽衣のような薄布を持ったアコライトの少女はブツブツと何か呟いた後、唐突に踊り始めた。
踊りに合わせるように、薄布が自在に動く。
伸びる、増える、曲がる、まさにあの薄布は生き物のようだった。
細く丸まり、槍のようになり相手を貫いたかと思うと、再びしなやかな布に戻り相手に巻き付き、布が引き戻された次の瞬間には相手は輪切りにされていた。
『死の舞踊』としか表現できない光景だった。
恐ろしい、だが同時に美しいとも感じずにいられなかった光景が男の脳裏から離れない。
とにかく、この場から早く離れなければ……そして、全てを忘れよう……忘れたい

ガシィッ!

唐突に男の視界が闇に塞がれた。
手? 誰かに顔面を鷲掴みにされたようである。
「なかなか見事な舞だった」
女の声。
自分を鷲掴みにしている女の声だ。
「だが、あの程度なら我やエリザベートが相手をするまでもない」
熱い。
捕まれている顔面が熱くなってくる。
「フッ」
女が鼻で笑った瞬間、男の体が激しく燃え上がった。
女は男から手を離すと、踵を返す。
そして数秒後、男がこの世界に存在した証は髪の毛一つ残さず灼き尽くされていた。














次回予告(兄様&エリザベート)
「兄様、あたし達今回出番なかったわね……」
「毎回、私達が出ていたら、それこそ他の人の出番や立場がないですよ。それよりも出番といえば、今回はついに……」
「うん、主人公(一応)がついに、まったく登場しないで終わっちゃったわね」
「今回、完全にビナーさんオンリーな話になってしまいましたから、ギャグみたいに数行登場されるよりはと……思い切って未登場にしました」
「唯一登場するチャンスがあった最後の部分は……彼女に持っていかれちゃったしね」
「そういえば、赤い二人の正体や関係に気づいていない人が居たのは意外でしたね、モロバレだと思ったんですが……」
「この前の三話分をよく読めば簡単に察しが付くわよ。論理の旋律が奏でられるに違いないわ」
「では、今回はこの辺でお別れですね。機会があればまたお会いしましょう」
「またね」

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