グラナート・テスタメント
第10話「片翼の銀天使」




マルクト・サンダルフォン。
彼女はあたしと同じ男を憎んでいる。
あたしの憎しみと、彼女の憎しみ、どちらが強いのだろう?
それは解らない。
ただ、『仇』を譲る気はなかった。
何より、あたしと違って、本来汚れ無き神聖な存在である彼女に、『血』や『復讐』などいった醜いモノは似合わないと思う。
そういった醜い、負の存在はあたしのように生まれた時から血に塗れていた、あたしのような醜い存在にこそ相応しいのだから……。
『天使』はその手を血で汚すべきでないのだから……。



「ティファ、本物の天使を紹介してあげるよ」
ある日、ミーティアがティファレクトの部屋に来るなりそう言った。
まだこの組織に来てから、ミーティアと初めて出会ってから数日しか経っていないのに、彼女はティファレクトのことティファなどと愛称で馴れ馴れしく呼ぶ。
ただ、なぜかそれをあまり不快に感じないのがティファレクトには不思議だった。
彼女が自分より強いから?
彼女があまりに無邪気だから?
この時のティファレクトにはその理由は決して理解できなかった。


「十大天使なんて名乗ってはいても、要は天使の力を悪用する恐れ知らずの人間が大半にすぎない……とミーティアは思うの」
「貴様……我もその十大天使の一人になったと知ってて言っているのか?」
なりたくてなったわけではない。
ミーティアにこの組織に無理矢理連れてこられて、無理矢理与えられた役職だ。
本当は誰にも従わず、何ものにも縛られずに、血と殺戮を楽しみたいのに。
「ああ、ティファは違うよ。だって、ティファは…………ああ、こっちだよ〜」
「おい、貴様今なんと言……」
ミーティアを乗せた水晶球はふわふわと間抜けな音を出しながらも、かなりの高速で飛んでいく。
「ちっ!」
ティファレクトは舌打ちすると、ミーティアの後を追って、庭園に入っていった。



「薔薇?」
辺り一面に花が咲き乱れていた。
赤、青、黄色、緑、紫、白、黒といった色とりどりの薔薇の花。
「確か、青薔薇というのは自然界には存在しないのではなかったか?」
「欠落している常識が多いのに、妙な知識は持ってるんだね、ティファは。ここにある薔薇は彼が『創った』人工の物だよ。まあ、本物の薔薇と何一つ変わらないけどね」
「あの男か……」
確かに、天使核とかいう訳の分からない物を創ることに比べれば、薔薇を創り出すなど造作もないことだろう。
「あら、ミーティア様」
そこに『天使』が居た。
人間にはあり得ない銀の髪と瞳。
左肩からは銀色に輝く天使の翼が生えている。
清楚な白いドレスも彼女の神々しいさを引き立ていてた。
「このような所に御出にならなくても、御用があるなら呼んでいただければすぐに参りましたのに」
彼女は聖母のごとく慈愛に溢れた笑みを浮かべる。
「いいよ。今日はただティファにマルクトを見せたかっただけだから。マルクトは好きにしてていいよ」
ミーティアがそう言うと、彼女はティファレクトの方に向き直った。
「お初にお目にかかります、新しく来られた、ティファレクト・ミカエル様ですね?」
「ああ……」
ここに来てから与えられた『名』ではあるが、間違ってはいない。
「私は十大天使が第九位マルクト・サンダルフォンと申します。以後お見知り置きを」
彼女、マルクト・サンダルフォンは深々と頭を下げた。


「マルクトには天使核なんて埋め込まれてないよ。だって、マルクトは天使そのものだから、そんな物は必要ないんだよ」
紅茶を飲みながら、ミーティアが言った。
椅子ではなく、水晶球に乗ったままなのは、あまり行儀が良いとは言えない。
薔薇の花園でのティータイム。
「…………」
なんとなくティファレクトはマルクトの右肩に目がいっていた。
なぜ、左肩にしか翼が生えていないのだろうか?
ティファレクトが何を考えてるのか察したのか、マルクトはクスリと上品に笑った。
「右の翼は、天から堕とされる際に剥ぎ取られたのです」
「堕天使か……」
「ええ、神に仕える者達は私をそう呼ぶでしょう」
マルクトは笑ったままである。
ただ、その笑みは少し哀しげに見えた。
「ですが、私は後悔などしていません。私は一人ではありませんから」
「マルクトには双子の兄が居るんだよ。ケテル・メタトロンって言って十大天使の第一位だよ。ティファが会いたければ今度会わせるよ」
嬉しそうなマルクトと違って、ミーティアはかなり嫌そうというか、かなり投げやりな感じである。
「なるほど……」
ミーティアは、マルクトと違って、ケテルという男はあまり好きではないらしい。
いや、そういえば、ミーティアは『男』自体が嫌いなのかもしれない。
特にこの前会ったゲブラーとかいう野蛮な大男はかなり嫌っているようだった。
逆に自分にはやたらと構ってくるし……。
そいうのをなんと言っただろう?
……確か……女好き?
いや、何か違う気もする。
「ん? ティファ、何か言った?」
「別になんでもない……」
血と殺戮を好む者達が集う組織には相応しくない、穏やかな午後の一時だった。



「ねえ、兄様。なんでケテルって人は生き返らせなかったの?」
エリザベートは男の座る椅子の横にちょこんと座っていた。
「『人』ではありませんよ。それにゲブラーさん達を生き返らせたのは私ではなく、あの方ですよ」
「ん……」
「私には死者を甦らせる能力などありませんからね。まあ、戦闘不能な重傷の者を回復させるぐらいなら容易いですが、完全に消えた命の炎を再び灯すことができるのは、あの方ぐらいですね」
「そうね、あの人の能力だからクリフォト・テンツなんて……一度死んだ者達だけで構成された組織なんて作れたのよね……まあ、アタシとカーディナルはちょっと違うけど」
エリザベートはとても複雑な表情を浮かべる。
「気に入った悪人の死者を甦らせて、自分の部下にする……あの方らしい素敵な悪趣味ですね」
男は楽しげに喉を鳴らした。
その喉元に唐突に赤い剣が突き付けられる。
「それ以上の悪口はやめてもらおう」
いつのまに男の背後にカーディナルが立っていた。
「いえいえ、悪口ではありませんよ。『素敵』だと言ったんですよ」
男は欠片も動じず、ぬけぬけと言う。
「悪行を重ねれば、死んでもあの方に救ってもらえるかもしれないんですから、悪人達にとってはあの方こそ『神』なのかもしれませんね」
「間違えるな人間。あの御方も我も、『天使』でも『神』でも『人間』でもない、『悪魔』だ。それもこの世界の闇や魔に属する化け物をひとまとめにしたようなモノではなく……純粋で高貴なる悪魔族……次に間違えたら、髪の毛ひとつ残さず灼き尽くすぞ」
男の首に突き付けられた剣が微かに赤い光を放った。
「肝に銘じておきましょう、赤の枢機卿様」
カーディナル。
その名の意味は枢機卿、あるいは鮮褐色。
赤の枢機卿にして赤の騎士、そして赤の王女。
悪魔王エリカ・サタネルの直属部隊クリフォトの長にして、全ての悪魔にかしずかれる存在でもある。
「ふん……」
赤い剣が消えた。
いや、カーディナル自体が消えている。
まるで最初からそこには存在していなかったかのように。
カーディナルが居た間、エリザベートは身動き一つ取れなかった。
それどころか言葉一つ吐き出すことさえできなかったのである。
普段こそ、カーディナル相手でも軽口というか気軽に話すことができてはいるが、殺気を放っているカーディナルが相手では話が違った。
怖い。
あの殺気が、あの眼差しが……。
「仕方ありませんよ。カーディナルさんとも相性は最悪なのですから、あなたは」
「相性だけの問題じゃない……」
実力も数段……いや、次元が違う気がした。
「やはり、マルクトさんの相手はカーディナルさんにしてもらいましょう。それが一番面白そうですからね」
「なっ!?」
マルクトという女はこの『次元』の力だと言うのか?
自分から逆らう気すら一瞬で奪う圧倒的な力による圧力。
カーディナルと同じくマルクトもそれを持っていると?
「さて、残りの組み合わせはどうしましょうかね?」
男は楽しげに思索に耽っていった。



「つっ……!」
マルクトは右目をおさえてうずくまった。
「……兄さん……兄さん……」
マルクトは呟く。
「解っています、兄さん。あの男がこの世界に来ているのですね? 兄さんの無念は必ず私が晴らします……」
マルクトはいつも閉ざしている両目を開いた。
左は銀色の瞳、そして右は金色の瞳。
「あの男は必ず私の手で殺します。兄さんから貰ったこの右の瞳に誓って!」
そのためだけに私は兄さんが、愛する者が居ない世界で生き続けているのだから。
「あの男を殺したら……私も兄さんの元へすぐに参りますから……もう少し待っていてくださいね、兄さん」
マルクトは恍惚としたような表情で呟いた。
それはとても哀しい笑顔。
復讐、手を血で染めることに。
殉死、自らの命を終わらすことに。
その二つだけに喜びを見いだす哀しき天使……それがマルクト・サンダルフォンという存在だった。











次回予告(兄様&エリザベート)
「おやおや、またお会いしましたね」
「まあ、実は8話から10話までは連続というか同時更新、スペシャル放送みたいなもんだったのよ。そんなことより、ここの担当、アタシ達に仮決まりしたみたいよ、兄様」
「おや、それはまたどうして?」
「イェソドは本編に滅多に出番がないから適任ぽいんだけど、あの口調が面倒だから、ティファレクトはいくらなんでも、主役が本編出なくてここ担当じゃあんまりだからよ」
「饒舌でないネツァクさんやカーディナルさんは問題外でしょうしね。同じく、うざい男キャラであるゲブラーさんとホドさんも問題外ですしね」
「マルクトは遠慮がちだし、ケセドはまだ殆ど活躍していなくてキャラが固まってないし……そうなると、ビナーとミーティア以外ではアタシ達しかいないことになるのよね」
「まあ、早い話大人の事情という奴ですね」
「というわけで、今回の主役の出番は回想だけ……まあいい方なんじゃない?」
「いっそのこと冒頭の心情表現もマルクトさんにしてしまいたくもありましたが」
「そこまでいったら、外伝にした方がいいかもしれないわね。完全にマルクトだけのマルクト話……」
「そうそう、いまさらですが、過去の話でティファレクトの口調や一人称が違うのはミスではなくワザとですからね」
「昔は『我(人外?)口調』だったのね……そういえば、アタシも一番最初は『妾口調』って設定だったりしたわよ……すぐに変更になったけど」
「我とか妾とか余というのは人外や傲慢なキャラのみが使える一人称(口調)ですからね。それに比べて私はとてもて低姿勢ですよ」
「素敵な慇懃無礼具合よ、兄様♪」
「では、今回はこの辺でお別れですね。機会があればまたお会いしましょう」
「またね」

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