グラナート・テスタメント
第4話「赤い日記帳」




ゆっくりと瞳を開く。
「お目覚めですか?」
そこに居たのは黒い男だった。
「……なぜ……なぜ、あたしは生きてるの……?」
やっと終われたと思ったのに。
やっと解放されたと思ったのに。
「ある意味死ねましたよ、あなたは」
どういう意味かと尋ねようとして……身体の異変に気づいた。
体中から『力』が抜けている。
魔力、腕力、体力、精神力、あらゆる力が感じられない。
使った分だけ消費された疲労感とは違う。
今のこの力の無い状態が全快の状態なのだ。
「命の代わりに『力』を全て奪われたようですね」
「…………」
「今のあなたは、今まであなたがゴミ扱いしていた何の力も持たない無力な人間と変わりません」
「……なぜ……素直に殺してくれなかったの……」
「優しい人ですからね、あなたのような者でも殺したくはなかったのでしょう。だから、力だけを奪いあなたを無害な存在にした」
「……無害?……このあたしが?……」
「ええ、どれだけ邪悪な存在でも力が無ければ何もできませんからね」
確かにあたしは邪悪な存在だろう。
だからこそあの時倒された方が世の中のためだった。
「まあ、あなたのような者にとっては殺されるより辛い罰になって良いかもしれませんね。無力な人間として地べたを這いずり回って生きなさい。日々の糧を得るためだけに限りある命を削る……どこまでも惨めに生き恥を晒すと良いですね」
男はそれだけ言うと、背中を向ける。
「待ちなさい……今はあたしとあなたは敵同士なはずよ……殺しなさいよ……」
男は振り返ると意地の悪い笑みを浮かべた。
「敵? 今のあなたには私の敵を名乗る資格もありませんよ。殺す価値すらないただのゴミですよ、あなたは」
「なっ……!」
「では、もう二度と会うことはないでしょう」
男は再び背中を向けると、闇の中に消えていく。
恥辱を、屈辱だけをあたしに与えて……。
いいだろう、どこまでも惨めに生き延びてやる。
そして再び力を取り戻して、いつか必ずあなたも、あの女も殺してやる。
そのためだけに、あたしは生きる。
あなた達への憎しみを糧にしてあたしは生き続ける……。



美の月/王冠の日

死ぬのも眠るのも大差はない。
だからベットなど必要ない、棺で充分だ。
「だからって、棺と薬品と本とワインしか無い部屋ってのもどうかと思いますわ……」
黄金の瞳と髪を持つ少女ビナーは、あたしの部屋を見回すとそう言った。
「寝るための棺、魔術の勉強のために必要な本と薬品、主食であるワイン……他に何がいるというのかしら?」
あたしは棺の上に腰を下ろし、魔術書を読みながら答える。
「衣食住の衣はどこに行かれたんですの……」
ワインだけあればいいという『食』にもかなり問題ある気がしないこともない。
「服? 着てるでしょうちゃんと」
あたしは何を言っているのよといった感じで自分の真っ黒なローブを指さした。
「一着で足りるわけないありませんわ! あなたホントに女性なんですの……?」
「あたしが男に見えるの?」
「……仕方ありませんわね、あたくしがコーディネートして差し上げますわ」


「…………で、何なのよ、この水着みたいな恰好は……」
ビナーがあたしに着せた衣装はどこからどう見ても水着にしか見えなかった。
水着の上に肩当てと、前隠しをプラスしただけの露出度の塊のような衣装。
「これがこの国にでの魔術師の正装なのですわ!!!」
ビナーは拳を握りしめて力説する。
「そう……そうなの? ホントに?」
「あたくし、嘘は申しませんわ!!!」
あまりにビナーが自信を持って力説するので、あたしが騙されたことに気づくのはかなり先の話だった。



美の月/知恵の日

ビナーに騙されたことに気づいたあたしは、シルバーローブとシルクローブを購入した。
どちらが良いか決められなかったので、両方を交代で使うことにする。
銀が編み込まれるだけあって、シルバーローブの方が僅かに防御力が高いようだが、シルクローブの方が魔力に対する耐性が高いようであり、その差は微妙で、どちらを使うかは趣味しだいと言ったところだった。
「魔術師の最高の装束はやっぱり、ミンクのコートですわ!」
いつもの調子でビナーが言う。
今度は騙されないようにあたしは注意を払った。
「シルバーローブを凌駕する防御力を持ちながら、とっても温かくて冬場は最適、その上見た目のデザインも良いという完璧な一品ですわ!」
ビナーは力説する。
「というわけで、ティファレクト、お友達価格で20万でこのミンクのコートを売って差し上げますわ!」
「長い前置きね……」
「今ならセットでマフラーもお付けしますわ!」
「うわぁ、極悪だね、ビナー。10万で買ったコートを20万で売りつけるなんて、流石だよ♪」
いつのまにか、ビナーの背後に沸いて出たミーティアが口を挟んだ。
「へぇ……そうなの、ビナー?」
あたしはビナーを指さすと、魔術を使うための精神集中を開始する。
「あははは……やっぱり、お姉様に差し上げることにしますわ」
ビナーはアッと言う間に部屋から飛び出していった。
「まったく……」
あたしはため息を吐くと、指を下ろし、精神集中を解く。
「ねえねえ、ティファ」
ミーティアはあたしの首に抱きついてきた。
「何よ、ミーティア?」
「ミンクって何?」
「……はあ?」
唐突な質問にすぐには反応できなかった。
「だから、シルバーは銀でしょ、シルクはシルクという素材の名前だよね。じゃあ、ミンクは?」
「…………」
そういえばミンクってなんだろう?
「ねえねえ、教えて〜」
「ちょっと待ちなさい、今考え……思い出すから」
結局、解らないと素直に認めるまでミーティアはあたしの傍から離れてはくれなかった。






自らの日記を読み返して、ティファレクトはため息を吐いた。
なんと平凡で平和な日々なことだろう。
完全に平和ボケしている気がしてきた。
魔術の研究を兼ねた魔物の虐殺は休むことなく続けてはいる。
だが、それだけでは駄目だ。
やっぱり、人を殺したり、殺されそうになったりしないと……。
この平凡で平和な日々に幸せを感じるようになったりしては駄目なのだ。
自分が何のために生き続けてるのかもう一度思い出されなければいけない……。







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