グラナート・テスタメント
第3話「価値観と倫理観」


心のどこかではこの時を、自らの破滅を望んでいたのかもしれない。

牙以上に、多くの血を、命を吸ってきた爪が空を切る。
次の瞬間、死神の大鎌があたしの右胸を貫いた。
これで全てが終わる。
やっと終わることができる……悔いなどない。
ずっと昔からこの時を待っていた気すらする。
倒されるために戦ってきた。
殺されるために、殺し続けてきた。
「……ありがとう……楽しかったわ……」
生まれて初めて、他人に感謝の言葉を告げた……偽りのない気持ちで……。










胸の上の圧迫感で目が覚めた。
すぐに原因が解る。
自分の胸の上に頭をのせて眠っている子供が居たからだ。
修理を完了した棺の蓋をちゃんと被ったはずなのに、蓋も無くなっている。
まあ、慣れない人間には、ちゃんと蓋を被せて密閉したら息苦しいだろうから、潜り込んだ後、蓋をしなかったのだろう。
「……風邪ひいてもしらないわよ」
ティファレクトはミーティアを起こさないように棺の中から出ると、蓋を探し出し、棺をとじた。
これで棺の中は温かくなる。
ミーティアも風邪をひかずに済むはずだ。
朝から良いことをしてしまった、自分も甘くなったものだ……とか思いながら、ティファレクトは部屋から出ていく。
その後、必死の形相でミーティアが棺の中から這い出てくるのだが、それはまた別の話だった。



「……普通、人間は空気がないと生きられないと思いませんか、ティファレクト様?」
「あたしの棺は別に完全密封じゃないはずよ?」
空気の入る隙間ぐらいあると思うが、なぜかミーティアは息苦しくて寝ていられなかった、下手すれば死ぬところだったそうだ。
「まあ、ティファレクト様なら空気が無くても生きていられそうですが……」
「あたしは化け物? 要は慣れよ」
「……問題はそんなことじゃないとミーティアは思うの……あとちょっと死ぬところだったの……」




ティファレクトが部屋を出てからしばらくすると、水色の髪と瞳をした水色のフォーマルドレスを着た女性が入ってきた。
彼女の手には銀色の細長い槍が握られている。
部屋の真ん中で立ち止まった彼女は迷わず、足下の棺に槍を突き刺した。
次の瞬間、棺の中から子供の悲鳴が……。



「ホント死ぬところだったの……」
「空気ではなく、『目覚まし』で死ぬところだったわけか」
我関せずといった態度で食事を続けていたネツァクが僅かに微笑を浮かべて呟く。
「ネツァクちゃん、ミーティアの不幸を笑うの!?」
「いや、お前は運が良かった、ミーティア。私なら絶対外さなかった」
そう言うと、ネツァクはロッダフロッグ(蛙)の丸焼きにナイフを突き刺した。
「う……」
ミーティアは言葉に詰まる。
「そうね、ネツァクの剣は迷わず心臓にいつも来るのよね……直前に目が覚めなかったらそのまま永眠よ……」
「急所を狙うのは当然の嗜みだ」
「何の嗜みよ……そんなにあたしを殺したいの?」
「刃を突き付けられても平気で眠っていられるような平和ボケした者は生きてる価値も必要もない」
ネツァクはロッダフロッグを切り刻みながら当然のように言った。
「異議ありですわ!」
さっきまで話に加わらずにホットミルクを飲んでた黄金の髪と瞳をした少女が机を叩く。
その彼女の隣では、彼女とまったく同じ顔をした水色の髪と瞳の少女が紅茶を飲んでいた。
「ビナー……私の考え方が間違っていると言うつもりか?」
ネツァクは目を細めると、ナイフをビナーの方に向ける。
「違いますわ! あたくしが言いたいのは、ケセドお姉様は別に狙いを外していないということですわ!」
「なんだそっちか……」
それなら無問題とでも言うように、ネツァクは食事を再開した。
「お姉様を心臓ではなく、頭を狙われたのですわ! そしたら、中に入っていたのがティファレクトではなくミーティアだったので、何もない所突き刺してしまわれた……それだけのことですわ! 間違ってもお姉様の腕はネツァクに劣ってはいませんわ!」
ビナーは熱弁を振るって双子の姉を弁護する。
「いえ、ビナー、中身が入れ替わってることに気づかなかった、わたくしが未熟だったのは事実です」
「そんな、お姉様!」
「ですが、貴方がわたくしを庇ってくれて嬉しかったですよ、ビナー……」
普段はビナーと違って厳しい表情を浮かべているケセドが優しげな笑みを浮かべた。
「お姉様……」
見つめ合う、姉妹。
異常に仲の良い姉妹のやりとりを無視して、ティファレクトはさっさと自分の食事を終える。
「ミーティア、これで少しは、毎朝のあたしの苦労が解ったかしら?」
「うん……毎朝命がけなんだね、ティファは……」
「命がまだ欲しかったら、あたしの棺に潜り込むのは辞めなさいね……これは忠告よ」
「うん……」
以上が今朝のできごとの全てだった。
常人からすれば異常かもしれないが、ティファレト達にとっては特にどうということはない日常の一こまである。
元々、人の命を奪うことを何とも思っていないような人間の集まりで、家族ごっこしていること自体無理があるのだ。
ティファレクトに至っても、『そういえば、この国に来てからはまだ誰も殺していないな』といった具合である。
ちなみに、ネツァクの場合は『人間と違って、魔物を殺しても楽しくない』といった具合だ。
ティファレクトはネツアクほど殺人狂なわけではない。
どちらかというとただ殺すより、他人の運命を弄んだりする方が好きだ。
「さてと……」
「ティファ、出かけるの? また、魔物虐め?」
「魔術の実戦による修行って言いなさいよ……」
今はまだこの国では何の目的も無い。
あえて目的を探すなら、魔術を拾得し、鍛え上げること、強くなることだ。
「おかしなものだ。この国の連中は魔物なら自分の腕を磨くために、平気でいくらでも虐殺している……こちらから攻撃しなければ無害な魔物達すら……あれでは動物虐待とかわらない」
ネツァクは魔物を哀れむかのように言う。
「あら、ネツァクは殺しが大好きなのじゃありませんでしたの?」
「私が殺して楽しいのは人間だけだ。動物や魔物は人間と違って嫌いじゃない」
「あらあら、そうですの?」
ビナーは理解できないといった表情を浮かべた。
「動物達は敵意の無いものには牙をむけない。食べるためにしか襲ってこない……薄汚い人間達とは違う……」
「まあ、生きる価値も無いくだらない人間が多いのは否定しませんわ」
「…………」
ネツァクは無言で席から立ち上がる。
「ネツァクも出かけるの?」
「人間を虐めてくる」
ネツァクは楽しげな笑みを浮かべると、部屋から出ていった。
「虐め……殺してくるの間違いですね、ビナー」
「ええ、お姉様。人殺しだけが楽しみだなんて、相変わらず優雅じゃありませんわね、ネツァクは」
「人を殺すことに罪悪感も何も感じない、寧ろ喜びを感じる……殺し屋になるためだけに生まれたような方ですね」
ネツァクは暗殺者を仕事にしている。
もっとも、暗殺者というより虐殺者といった方が相応しい気もする。
「まあ、ネツァクの気持ちも解らなくはないわね……」
自分も昔は同じようなものだった。
ティファレクトは苦笑を浮かべると、魔物を虐殺するために部屋を出ていく。
強くなるために、他者の命を奪う、ただそれだけのことだ。




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