グラナート・テスタメント
|
ソウルストライク!」 五つの光球が巨大な蜘蛛を跡形もなく粉砕する。 威力は問題ない。100%の確率で一撃で倒せるようになった。 だが、問題は蜘蛛のスピードだ。 限りなく詠唱時間を必要としない最速魔術であるソウルストライクでさえ、目標を確認し、光球を放つまでの間に間合いを詰められてしまい、相打ちの形になってしまう。 「痛みは嫌いじゃないけど……」 ここでの目的、本当の獲物は巨大蜘蛛ではないのだ。 蜘蛛相手にいちいちダメージをおっていては目的を果たせない。 ティファレクトは仕方なく、ダメージを負わないように慎重な戦い方をしていた。 しばらくすると、目的の獲物が姿を現す。 巨大な赤い芋虫。 同じ巨大といっても、蜘蛛とはスケールが違う。 蜘蛛は人と同じぐらいの大きさだが、芋虫は人五人ほどの大きさだった。 「哀しき死者の国の女神の冷徹なる氷の眼差しにより……全ての運動は今凍結する……フロストダイバー!」 詠唱の終了と同時に、赤芋虫アルギオペは氷塊の中に閉じこめられる。 ティファレクトは次の呪文の詠唱をすでに開始していた。 「雷神よ、汝の裁きの雷を我に貸し与えたたまえ……揺らぐことのない光の正義を示すために……サンダーボルト!」 アルギオペを封じ込めている氷塊に雷が落ちる。 それも四度も連続でだ。 サンダーボルト、一瞬で相手の頭上に雨雲を作り出し、雷を落とす魔術。 魔術を熟練すればするほど、多くの雷を連続で落とすことができるようになる。 もっとも、雷を多く落とそうとすればそれだけ詠唱時間が倍々に増えていく欠点も存在した。 ティファレクトは落雷を落とし終わると同時に、後方に跳ぶ。 「……やっぱりね……」 フロストダイバーで凍結することによって、雷の伝わりを良くし威力を高めたにも関わらず、アルギオペはまだ自らの形を保っていた。 アルギオペは体の半身を浮かせると、勢いよくティファレクトに向かって飛びかかる。 アルギオペのティファレクトを一口で丸呑みできるほど巨大な口がティファレクトに迫った。 「フフ……見るがいい魂の輝きを……ソウルストライク!!!」 アルギオペがティファレクトを呑み込もうとした瞬間、光が爆裂する。 アルギオペの体は四散し、ティファレクトは後方に吹き飛ばされた。 「…………ん……」 ティファレクトはふらつきながらゆっくりと立ち上がる。 「ん……かはっ!」 左手で口を押さえると、片膝を付いた。 「割に合わないですね……」 咳き込む度に、口を押さえた左手の指の隙間から赤い液体が漏れ出す。 ソウルストライクの爆発が至近距離すぎた。 0距離で爆発したアルギオペの無数の肉片がティファレクトの体を直撃したのである。 これでは自爆だ。 「それにしても……なんて脆弱な体……」 例え自爆しなくても、アルギオペの攻撃の直撃を受けていたら、今と同等以上の深手を負っていただろう。 アルギオペの攻撃に耐えれるのは二回半といったところか……三回攻撃を受ければ間違いなく死ぬ。 ティファレクトは魔術師の特徴ともいえるこの脆弱な自分の体が嫌いだった。 魔術師は生まれついての種族のことではなく職業である。 だが、殆ど例外なく魔術師は肉体が脆弱だ。 理由は恐ろしいほど単純。 体を鍛える時間がないのである。 魔術の拾得のための学習や研究に費やすための時間はどれだけあっても足りない。 ティファレクトも魔術師に成り立ての頃は体力や腕力や武器を器用に扱うためのトレーニングを行っていたが、次々と魔術を覚え、覚えた魔術を熟練させる必要ができてくると、肉体的なトレーニングを行う時間などまるで無くなっていった。 外に出るのは魔物相手の実戦の時だけ、それ以外は室内にこもりきりで、昼も夜もなく魔術の研究と修行だけに没頭する……そんな不規則で不健康な生活をしていれば、一般人よりも肉体は衰えていく……それが魔術師には脆弱な者しかいなくなる理由である。 そういったことを気にするティファレクトは魔術師の中では異端だった。 例えば、ティファレクトの大先輩である見かけは十代後半にしか見えない可愛らしい少女のような魔導師は、ティファレクトの想像を超えた超常的な破壊力の大魔法を使いこなすが、身体能力は一般人の子供並みしかなかった。 腕力や体力は勿論、敏捷性や瞬発力すら皆無で、攻撃に耐えたり、攻撃をかわすということははなから考えにないようだった。 肉体的なマイナス分を、全て知力や魔力に費やす、一分でも体を動かす暇があるなら、その一分を勉強と魔力を高める修行に回す……そうまでしなければ魔術の奥義は究められないのだと彼女は言っていた。 さらに、最近では、生まれた時から肉体は病的なまでに脆弱で、その分知能や魔力に優れた子供を作為的に生み出す行為も行われているらしい。 生まれた瞬間に、いや、生まれる以前から魔術師になることを定められたエリート達……そこまでしなければ魔術の奥義とは辿り着けないのだろうか? そういった調整をされた子供は幸せなのだろうか? 「……ふん」 魔術の奥義や真理の探究など自分には関係ない。 どのみち、自分などが辿り着けるわけがないのだ。 ティファレクトにとって魔術とは『力』でしかない。 それ以上でもそれ以下でもないのだ。 強ささえ手に入ればそれでいい。 魔術の研究のために戦うのではなく、戦うために魔術の力が欲しいのだから。 「…………」 ティファレクトは美しい蝶の羽を荷物から取り出すと宙に放る。 次の瞬間、ティファレクトの姿は掻き消えた。 衛星都市イズルード。 その名の通り、ルーンミドガルド王国の首都プロンテラの衛星都市である。 その都市のとある家の地下。 最低限の家具しか置かれていない質素の部屋の真ん中に漆黒の棺が置かれていた。 その部屋に一人の女性が入ってくる。 紫色の短い髪と瞳をした紫色のコートを着た女性。 彼女の手には一降りの剣が握られている。 彼女は部屋の真ん中で立ち止まると、迷わず足下の棺に剣を突き刺した。 次の瞬間、剣の突き刺さった棺の蓋が『内側』からの力で勢いよく跳ね上がる。 「殺す気!?」 棺の中から姿を現したのは、ティファレクトだった。 「起こしに来ただけだ」 紫色の女性は無感情にそう言うと、宙から落ちてくる棺の蓋から剣を抜き取る。 「永眠するところだったわ……」 「普通、棺は死んでから入るものだ。そんなもの中で寝ている方が悪い」 「そうそう、ネツァクちゃんの言うとおりだよ、ティファ。棺を見たら白木の杭を打ち込みたくなるのは人間の性だよね」 いつのまにか、紫色の女性の隣に、赤いワンピースを着た10歳ぐらいの女の子が立っていた。 「棺で寝るのが趣味な人間には住み難い世の中になったものね……」 ティファレクトは悔しげに呟く。 「大丈夫、吸血鬼以外でそんな趣味をしているのはティファぐらいだから♪」 満面の笑顔を浮かべて女の子は答えた。 「もう目は覚めたな? 朝食だ……行くぞ、ミーティア」 「はぁい♪」 水色の女性が背中を向けて歩き出すと、金髪の女の子も軽快な足取りでその後を追う。 ティファレクトはため息を吐くと、無残にも穴の開いた棺の蓋を見つめた。 「あたしの棺が……こちらの国に渡ってきてから作った棺の中では一番気に入っていたのに……」 ティファレクトはため息を吐きながら立ち上がる。 棺の修理は後回しにして、とりあえず朝食を食べにいくことにした。 これだけの損害をおってまでして起こされたのに、朝食を食べ損なうわけにはいかない。 「まったく……」 ネツァク・ハニエルとミーティア・ハイエンド。 一緒にこの国に渡ってきて、なんとなくそのまま一緒に暮らしている昔の知り合いの内の二人だ。 食堂に顔を出すと、自分以外にこの家に住んでいる者全員が揃っていた。 スネークの丸焼きを食べているのが、さっき棺を台無しにしてくれたネツァク。 「ネツァクちゃんだけずるい! ミーティアもそれ食べたい!」 ペコペコ肉のシチューを飲みながら、駄々をこねているのがミーティアだ。 「これは私が自分で狩ってきたものだ。欲しければ、お前も砂漠で狩ってくればいい」 「う〜」 すねるミーティアを無視して、ネツァクはスネークの丸焼きを全て平らげる。 「ミーティア様、野菜もちゃんと食べてないと駄目ですよ」 銀髪の女性がミーティアにマンドラゴラとスポアのサラダを勧めた。 「マルクト……」 マルクトと呼ばれたエプロンドレスの女性は目を閉じたまま、サラダを無理矢理ミーティアに食べさせようとする。 「ミーティア、スポアは嫌い……んぐぅ!」 「いけません、好き嫌いしてると大きくなれませんよ」 好き嫌い以前にスポアって毒キノコじゃなかっただろうか? 無理矢理サラダを食べさせられるとミーティアを見てそんなことを考えながら、ティファレクトは自分の席についた。 パンとワインといった無難な物を口にする。 「ティファレクト様はホントにそれだけで良いのですか?」 「ええ……」 確認してきたマルクトに愛想笑いで答えた。 普段戦っている巨大なキノコや蛇を食べたいという気はあまりしない。 マンドラゴラも植物は植物だと思うが……なんとなく食べたくない。 「はい、ミーティア様、最後はミルクを一気飲みしましょうね」 「んぐぅ!」 マルクトの愛情を一心に受けるミーティア。 弄ばれているようにも見えなくもないが……。 ちなみに、後三人ほどテーブルに座っているが、ティファレクトは見なかったことにした。 さっさと自分の食事を済ませる。 「ごちそうさま……」 ティファレクトは棺を直すために、自分の部屋である地下に降りていった。 |