グラナート・テスタメント(試作品)
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昔、一人の女がいた。 破壊と殺戮と血を好み、そのためだけに罪を重ねる。 目的のためには罪を犯すこともいとわないのではない、罪を犯すこと自体が目的。 他者を傷つけること、他者の命を奪うことで得られる快楽だけを楽しみに生きてきた。 刹那的な快楽。 他者の、そして自らの血と痛みだけが、生きていることを実感させてくれる。 血の快楽、それだけでいい。 他には何も無い、何も望まない。 快楽のままに、自由気ままに生きた女は、その時たまたま所属してた組織と共に倒された。 ある犯罪結社の幹部の一人、それがその世界での、その『物語』での女の役割だった。 物語は終わっても、それぞれの人生は続いていく。 だが、世界に、歴史に深く関わることのない人間一人一人の人生など物語として語られることなど決してない。 脆弱で矮小な一人の女の人生など物語になりはしないのだから……。 カサカサと音が近づいてくる。 聞き飽きた音だ。 この地獄ではどこにいても聞こえてくる、物音。 「…………」 女はゆっくりと立ち上がった。 音の主が女の視界に姿を現す。 蟻。 アリだ。 本来、もっとも矮小で脆弱といえるはずの生物。 だが、その蟻は人間と同じサイズをしていた。 確かこの蟻の化け物には、アンドレ、ピエール、デニーロという三種類の名前がついていた気がする。 それぞれ、微妙に強さというか、しぶとさが違っていたりした気がするが、たいした問題ではない。 なぜなら……。 「この世の始まりは全て炎に包まれていた……始まりを暗示するものよ……我が意に従い全てを焼き尽くせ……ファイアボルト!」 女が叫びと共に蟻を指さした瞬間、天から炎が降り注ぎ、蟻を包み込んだ。 「アンドレだろうが、ピエールだろうが、デニーロだろうが一撃で100%倒せる以上、区別する必要はない……」 かって蟻だった消し炭を見つめながら、女は気怠げに呟く。 女の名はティファレクト・ミカエル。 この世界にいくらでもいる、ただのマジシャンだ。 マジシャンとは、魔法士、魔法使い、魔術師とか呼ばれる魔法(魔術)を使うことを生業とする職業のものである。 確か、魔法士というのがこの世界でのマジシャンの意味では正しかったような気がするが、彼女は自分のこと魔術師と名乗り、自分の力を魔法ではなく魔術と呼んでいた。 これには理由がある。 彼女が元々住んでいた世界……国では、魔術と魔法はまったくの別物だったからだ。 長くて怠い呪文や印を必要とするのが魔術、イメージを具現化するだけで炎や雷といった現象を起こすことができるのが魔法。 その分け方をするのなら、この世界の魔法は魔術である。 もっとも、この世界には呪文も印も契約も必要とせず現象を起こせる者など彼女の知るかぎり存在しない。 ちなみに、マジシャンと名乗らないのは、彼女の国ではマジシャンというのは魔術を使う者ではなく、手品師を意味する言葉だからだ。 「まあ、どうでもいことでしょうね……この世界の人達にとっては……」 彼女自身のこういったこだわりは、あくまで彼女だけが気にするだけで、口に出されることはない。 口にしても何の意味もないからだ。 彼女がこの国、この世界の生まれでないことを、異邦人だということを証明する効果しか持たない。 そして、異邦人だと証明することは何の得ももたらさない、寧ろただのマイナスしか招かないのである。 「今日はもう帰ろう……」 何か怠い。 体以上に心が……。 この場所は蟻以上に人が多く『沸いている』ので好きじゃない。 こちらから攻撃しない限り、襲いかかってくることのない巨大蟻は、自らの腕を試し、鍛えよとする者達にとって絶好の獲物なのだ。 しかも、いくらでも沸いてくるし、何か金目の物を巻けば寄って来るという性質まで持っている。 ある程度の実力、確実に蟻を一撃で倒せる力を得た者にとっては、蟻という獲物よりも、周りの他人の方が嫌な存在だった。 他者がいれば気を遣わなければならない。 これは自分の獲物、あれは他人の獲物……といったくだらないことで争いが起きることもあるのだ。 それに、争いは起きなくても、他者が居る、他者の視線があるというだけでも気疲れの対象になる。 少なくとも彼女にとってはそうだった。 「……ん」 一匹の蟻が丁度彼女に向かって歩いてくる。 ティファレクトは蟻の胴体に迷うことなく杖を叩きつけた。 魔術師であるティファレクトの杖での打撃に蟻を一撃で倒せる破壊力などない。 当然、蟻は自分に危害を加えてきたティファレクトに牙をむけた。 「フッ……ソウルストライク!」 蟻の牙が彼女の肩に食いつくのと、彼女の右手から五つの光球が放たれるのはまったくの同時だった。 光球が直撃した蟻は跡形もなく粉砕される。 ソウルストライク。 古代の光の精霊を召喚する魔術ということになっているが、ティファレクト的には自らの魔力、生命力といった魂の力自体を光の弾丸に変えて敵に叩きつける魔術だと解釈していた。 呪文の詠唱や儀式といったものを殆ど必要としせず、一瞬で放てるところが良い。 このシンプルな魔術を彼女はとても気に入っていた。 「フッ……フフフッ……」 食いつかれた肩が痛む。 だがこの程度の痛みは逆に心地よい。 やはり、相手だけではなく、自分も痛みを味合わなければ、命を失うかもしれない危険を感じなければ、戦いとはいえない。 彼女は職業を間違えたのかもしれない。 先制で一撃で倒す、倒せなかったら終わり……という魔術師の戦闘スタイルは彼女の性に合っていなかった。 痛みと恐怖だけが生きている実感を与えてくる。 戦いだけが充実感を与えてくれる。 強くなることだけが生きている目的。 この国で何も持たない彼女には、戦いだけが全てだった。 |