カノン・サバイヴ
第62話「赤い月の母娘」


「つまらない……これなら舞さんや香里さんの方がまだ見込みがあったわ」
郁未は、無惨に倒れ伏す名雪を冷徹な眼差しで見つめていた。
「ふん……ん!?」
突然、名雪の姿が消失する。
次の瞬間、横から凄まじい衝撃が郁未を吹き飛ばした。
「くっ!」
郁未は壁に激突する前に、体を回転させて着地する。
衝撃が襲ってくる直前に、反射的に右手で『受けた』のでたいしたダメージはなかった。
衝撃の正体、それは……。
「意識が無い時の方が強いというのも……我が娘ながらどうかと思うわよ」
名雪が立っている。
何の感情も浮かべていない表情で。
さっきの衝撃の正体も名雪の『蹴り』だった。
再び名雪の姿が消失する。
「左!」
郁未が左手に不可視の盾を作り出した直後、出現した名雪がオーバーヘットキックで不可視の盾ごと郁未の左手を蹴り飛ばした。
名雪はそのまま空中で体を捻り、郁未の顔をさっきと逆の足で蹴り飛ばす。
さらに、着地と同時に、郁未の腹部に拳の連打を打ち込んだ。
「ぐっ! 調子に乗るな!」
郁未はアークデーモンムーンブラスト(魔王赤月猟掌波)で強引に名雪を押し飛ばす。
「くっ……壁や盾を作る間もくれないなんて……」
所詮はただのパンチやキック、一撃で郁未に致命傷を与える威力など無い。
だが、途切れのない攻撃は、異能力を使うための一呼吸の『貯め』、精神を集中する間を許してくれなかった。
「なら、望み通り接近戦をしてあげるわよ! ストライクベント! アークデーモンムーンストラッシュ(魔王赤月掌)!」
『盾』や『壁』を創造するのではなく、『力』を一点に纏うか、放出するだけの技の方が『貯め』はいらない。
郁未は赤く輝く両手で、名雪に襲いかかった。
名雪が上段回し蹴りを放つ。
郁未はかわすのでも受けるのでもなく、その蹴り足に向けて、赤く光り輝く右手を突き出した。
「赤き月の光は触れしものを全て消し去る!」
触れるだけでいいのである。
そだけで郁未の勝ちは決まるはずだった。
「なっ!?」
郁未の右掌、いや、掌が纏っている赤い光は、郁未の左足に届いていない。
名雪の左足が纏っている赤い光が、郁未の右掌の赤い光を遮っていた。
「まあ……わたしの娘だし……それくらいできて当然よね」
郁未は気を取り直して、右掌を引くと同時に左掌を突き出す。
それを今度は名雪の右足が迎撃した。
「どうやら、本当に『格闘戦』しないといけないみたいね……」
郁未の掌底突きと、名雪の蹴りが何度も交錯する。
「ちぃ……」
威力こそ、腕より足の方があるものだが、速さ、特に小回りは手の方がきくものである。
それなのに、互角ということは……。
「名雪の足技の方が速いってことね」
郁未は格闘戦をやめて、上空に飛び上がった。
「シュートベント! 不可視の核撃!」
爆発が屋上を埋め尽くす。
しかし、すでに名雪はそこにはいなかった。
名雪は郁未の背後に出現すると、郁未を屋上に向けて蹴り落とす。
「ぐっ……格闘能力は間違いなくわたしより上なようね……」
郁未は屋上の床に激突する前に、浮遊して体を止めた。
「認めてあげるわ、名雪。あなたは強い……でも、格闘や剣術の強さなんてね……人間の『強さ』にすぎないのよ」
名雪は郁未に追撃をかける。
「あなたにも見せてあげるわ、不可視の世界を!」
郁未の全力はまだまだこれからだった。



「正当な技と力だけで競うのは『スポーツ』にすぎない。不意打ち、騙し合い、特殊能力、頭脳と特技を最大限にいかすのが『殺し合い』よ。だから、わたしは卑怯だとは思わない」
自らの目の前で『止まっている』名雪に向けて郁未は言った。
「不可視の世界や邪夢もわたしの『力』の一つ、これらを使わなくては全力とは言えないのよ」
郁未は包丁千本を発動する。
無数の包丁が名雪を取り囲んで……。
「なっ!?」
包丁が名雪を取り囲むよりも速く、名雪の姿が消失した。
次の瞬間、背後からの衝撃が郁未を吹き飛ばす。
「……不可視の世界が効いていない!?」
名雪は通常の世界と同じように普通に動いていた。



「やっぱりね……名雪には不可視の世界と邪夢は効かないみたいね」
香里の予想は当たっていた。
郁未と同じ神クラスの神奈備命、異質でありながら互角な『力』を持つ川澄舞、郁未と同じ『力』を持つ自分、そして、郁未の娘であり同じ『力』を持つ名雪。
郁未の能力を無効にできる可能性があるのはこの四人だけだと思っていた。
特に自分と名雪は、郁未とまったく同じ『質』の『力』を持つ分、可能性は高いはずである。
神奈や舞の場合、種類が違う分、郁未を凌駕するだけの『力』が必要かもしれないが、自分達の場合は同じ存在ゆえの無効化だ。
自らの技で自滅することほど間抜けなものはない。
それゆえに、郁未には郁未の能力は効かない。
例え、跳ね返されたり、真似されようと、郁未の使う能力は郁未には無効なのだ。
その理屈で、郁未の分身である香里と、郁未の娘である名雪には能力が無効なのである。
「さて……どうするのかしら、郁未さん?」



「ちっ……」
郁未は不可視の世界を通常の空間に戻した。
効果が無い以上、使っている間中、『力』を急激に消耗する不可視の世界を維持する理由は何もない。
「格闘能力とスピード全てが名雪の方が上……おまけに特殊能力は一切無効……これはちょっと困ったわね……」
そう言いながら、郁未はどこか楽しげだった。
「ならば、次は数で勝負よ! ドッペルゲンガー!」
屋上を無数の郁未が包囲する。
「無限の核……げっ!?」
名雪が迷わず『本物』の郁未を蹴り飛ばした。
郁未が吹き飛ぶと同時に、他の全ての郁未が消滅する。
「そっか……最初から『見て』はいないんだものね……本能で本物のわたしが解るのね……たった一人の母娘だものね……」
意識のない相手にまやかしなど無効だということだ。
ドッペルゲンガーが何体破壊されても郁未にはダメージはないが、オリジナルの郁未が攻撃され、郁未の集中力が乱れれば、他の全てのドッペルゲンガーは一瞬で消滅してしまう。
名雪の姿が消失した。
背後か? 横か? 上か? 今度はどこに出現して攻撃してくる?
「どこからでもいいわよ、名雪……」
背後に出現した名雪が、郁未の足を払おうとした。
しかし、そこに郁未の足は存在していない。
郁未は上半身しかなかった。
上半身から先が空間に呑み込まれるように消えている。
そして、郁未の下半身が出現すると同時に名雪の首に絡み付いた。
「いい加減目を覚ましなさい!」
上半身が消え、下半身の先に繋がる。
歪ませた空間を元に戻したのだ。
「アークデーモンムーンストライク(魔王降月衝)」
叫びと共に、名雪と郁未の姿が屋上から消えた。



「外気圏までは無理だったけど……熱圏か……名雪、見える、人工衛星よ?」
地球の大気を対流圏、成層圏、中間圏、熱圏にわけたうちの上端が熱圏となる。
高度約80-100km(中間圏界面)から300-600km(熱圏界面)までの、大気上端に位置する領域を熱圏と呼ぶのだ。
熱圏領域では、 人工衛星やスペースシャトルが飛行したり、将来 宇宙ステーションが建設されるなど、宇宙空間と大気の境界領域と言うことが出来る。
また、オーロラが乱舞するのもこの領域だ。
「アークデーモンムーンストライク(魔王降月衝)……大気圏突入バージョン……これ以上馬鹿馬鹿しくて、それでいて威力のある技はないわよ……あなたは耐えられる、名雪?」
本来生身で存在などできる領域ではない。
郁未と名雪は地上を目指して落下していった。


そこには水瀬の塔どころか、住宅街自体が残っていなかった。
あるのは巨大なクレーターだけ。
「……これで……全て終わりか……」
宙に浮かび、クレーターを見下ろしていた郁未は、つまらなそうに呟く。
「……ん? いや……」
郁未はおかしなことに気づいた。
名雪が消滅したのなら、名雪の持っていた『力』は自分に『戻ってくる』はずである。
それがないということは……。
「……お母さん……」
声は郁未の頭上からした。
名雪が浮いている。
「意識を取り戻したのね……いや、そんなことより、生きていることに驚くべきかしら……それとも、異能力を使いこなしていることに……?」
「街の人……みんな死んじゃったの……?」
名雪は地上の惨状を見つめていた。
「別にいいのよ。どうせ、この世界……この世界に生きる全ての存在はわたしの『創り出した物』に過ぎないんだから」
「…………」
「長い長い戯れ……普通の人間として過ごした間に、わたしは『力』の大半を失っていたわ。それを取り戻すには、戦いが一番手っ取り早かったのよ」
「……それが……この戦い……ゲームの本当の目的……?」
「そうよ。わたしのレベル上げ……いえ、リハビリかしらね。この世界に存在する全ての魂は元はわたしの分身……殺し、私の『中』に戻す前に、少しでも鍛えて高めた方が良かったてのもゲームの目的の一つね」
「……お母さんは……この世界を創った神様だから……世界を……この世界に生きる全ての人を……好きにしていいの?」
「そうよ、当たり前でしょ。自分が創った世界を無に還そうが、作り替えようが、それは創造主たる者の当然の権利よ」
「…………」
「戯れの時は終わったのよ。奴らに備えるために、わたしは全ての『力』を取り戻さなければいけない。異界の神々……永遠からの侵略者が来る前にね」
「…………」
名雪は長い沈黙の後、再び口を開く。
「……ねえ、お母さん。もし、お母さんがこの戦いで誰かに敗れていたらどうなったの……?」
「ありえないことね。でも、もしそうなったら、その人物がわたしの『力』を全て手に入れた新たな『神』になっていたでしょうね。どんな願いでも叶えられる『力』を得られるわ……だから、このゲームの賞品はまんざら嘘じゃなかったのよ」
「……そうなんだ……」
名雪の体中から赤い光が溢れ出した。
「名雪?」
「……わたし……やっと決めたよ……」
「…………」
「お母さんを倒す……お母さん以外のみんなのために……」
「そう……やっと決めれたのね……」
郁未は微笑む。
その笑みはとても儚げで、なぜか優しげだった。
「子より劣る親は無用……わたしを倒せるなら倒してみせなさい、名雪!」
郁未の体からも赤い光が溢れ出す。
「……いくよ、お母さん!」
「もはや小細工は無用! わたしに全ての『力』を叩きつけてみせなさい!」
赤い月の母娘は同時にファイナルベントを装填した。



「バーニングヴァージンロード!」
「アークデーモンムーンバニッシュ(魔王赤月消滅脚)!」
空高く舞い上がった郁未は、空に月を描くかのようにムーンサルトを極めると、そのまま名雪に向かって降下(飛び蹴り)してくる。
赤い光の闘気に包まれたその姿は落ちてくる赤い月そのものだった。
その赤い月に向かって、名雪の乗るバイク形態のカイザーケロピーは迷わず加速していく。
その姿は地を走る赤い月。
放つ闘気の強さはおそらく互角。
だが、上空からの落下である自分の方が重力や勢い的に僅かに有利。
郁未は勝利を確信した。
しかし、名雪は郁未の予想外の行動をする。
「だおおおおおおおおおおおおっ!」
二つの赤い月が激突する寸前、名雪はカイザーケロピーから跳んだ。
カイザーケロピーが咆哮と共に吐き出す赤い炎で名雪の背中を押し出す。
「バーニングヴァージンロードの加速状態からさらにケロピーキック!?」
タイミングをズラされた郁未こと、落ちてくる赤い月を……。
「カイザーケロピーファイナルキック!!!」
赤い閃光と化した名雪が貫いた。























次回予告(美汐&香里)
「というわけで、カノサバ第62話をお送りしました」
「まるまる一話ラストバトルだったわね」
「では、引き続き、最終話お楽しみください」
「今度はまるまるエピローグ?」
「戦わなければ生き残れません」


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