Kanon Princeess(カノン・プリンセス)
第1話「エンドレス・デスティニー」





「祐一さん、祐一さん」
「なんですか、秋…………」

 ガン!

意識を失い倒れ込む祐一を見下ろし、『永遠の28歳』は菩薩のような微笑みを浮かべる。
「これで記憶処理は完了ですね」
「あははーっ ♪ 後は『スタート位置』に捨ててくればいいんですね ♪」
「ええ、お願いできますか ?」
「あははーっ ♪ 佐祐理にお任せです ♪」
刹那の間も休むこともなく笑い続ける少女に、祐一が引きずられていくのを見ながら、香里は悔悟の念に蝕まれていた。
『この人』の手だけは取っては行けなかったかもしれない。悪魔と契約した方が百億倍安全だったのかも……。
「どうしました、香里さん?」
「……相沢君……大丈夫なの?」
「ええ、記憶が飛ぶ程度の力でしか殴ってませんから」
「記憶が飛ぶ程度ね……」
そんな絶妙な力加減ができるものなのだろうか? 
そもそもなぜ、こんなやり方を……。
「それは、『時間』を戻すのは、いくら私でも少し面倒だからですよ」
「面倒って……」
面倒だけどできるという意味だろうか?
「て……今、人の心読みませんでした!?」
「フフフッ……気のせいですよ」
「…………」
「では、始めましょうか、KPプロジェクトを」



雪が降っていた。
重く曇った空から、真っ白な雪がゆらゆらと舞い降りていた。
冷たく澄んだ空気に、湿った木のベンチ。
「……えっと、何してたんだっけ……?」
目を覚ました祐一は過去を思い出そうとする、しかし、記憶の代わりに、後頭部に鈍い痛みが走る。
「う……後頭部を鈍器で殴打されたような痛みが……」
ということは、自分は火曜サスペンスか、刑事ドラマのように、誰かを脅迫でもして、背後から鈍器で殺害がされたのだろうか?
「いや、生きてるし……」
それにしても、あの手の被害者ってなぜあっさりと無防備な背中をさらすのだろうか? あれでは殺されても仕方ない……などと関係なことに思考が行きかけてた時だった。
『あははーっ ♪ 祐一さんは学校を退学になって、この雪の舞い散る街に転校してきたんですよ ♪ これから住む所を捜すんですよ ♪』
「……そうなのか?」
『はい、さっきそういう設定に決めました ♪』
「設定……」
『高校受験にケアルミスで失敗して、屋敷から追い出されて、海上雪国都市に強制発送されたという設定の方が良かったですか? 今なら変更可能ですよ ♪ でも、それだと皆さんの年齢変更が面倒ですね ♪』
「……退学って設定でいいです……て、あんた誰だ!?」
祐一は周りを見回すが、誰もいない。
「なんか……聞き覚えのある声だったような……」
思い出そうとすると頭の痛みが増す。
「……まあいい……とあえず住むところを捜せばいいんだな?」
7年ぶりの街で、
7年ぶりの雪に囲まれて、
新しい生活が、冬の風にさらされて、ゆっくりと流れていく。
「……なんかそのナレーション無理がないか?」
『あははーっ ♪』



「フフフッ……上手くいきましたね、香里さん」
「………………」
「流石、祐一さんです。あっさり現状(嘘設定)を受け入れましたね」
「……相沢君って……」
「あははーっ ♪ 馬鹿だなんて言ってはいけませんよ ♪」
木陰から『24時間あははーっ ♪と笑い続けることができるお嬢様』が姿を現す。
「まだ、言ってないわよ……」
どうして、『28歳』も『あははーっ ♪』も当然のように他人の心を読むかな……。
「佐祐理さん、御苦労様でした」
「あははーっ ♪ 佐祐理、お役に立ちましたか?」
「ええ、とっても」
「あははーっ ♪ お役に立てて嬉しいです ♪」
「フフフッ……」
「…………」
とにかく、この二人にだけは下手に逆らわない方がいい……絶対に勝てないから……。
香里の戦士としての本能がそう告げていた。
「さあ、香里さん、スタンバイですよ。運命の出会いを演出するんです」
「……解ったわ……」



不動産屋を捜しながら、商店街を歩いていた祐一は突然最後に殺気を感じた。
「もらったうぐぅ!」
祐一はヒラリと身をかわした。
疾風が祐一の真横を通り過ぎ、そのままガードレールを乗り越え、川に落ちていった。
「新型の高速型ゾイド……?」
少なくとも、人間ではないだろう。『羽』みたいな物がついてたし……。
加速装置、V−マックス、なぜかそういった単語が頭に浮かんだ祐一は結構オタクだった。



「失敗ですね……」
「あははーっ ♪ あゆさんも役立たずですね ♪」
「…………」
3人は一部始終を祐一の遙か後方から見ていた。
「あゆさんに、祐一さんを川に突き落としてもらって、溺れている所を香里さんが助ける『運命の出会い計画』がパーですね」
「あははーっ ♪ あゆさん相手に『運命の出会い』をしますか、香里さん?」
「もう、流れていっちゃったわよ……」
「あゆちゃんならきっと大丈夫ですよ」
「なんの根拠もなくても、秋子さんがそういうならきっと平気ですね ♪」
「…………」
「さあ、『運命の出会い計画パート2』開始しますよ、香里さん」
「…………解ったわ……」



「お部屋をお探しですか?」
「秋子(叔母)さん!?」
やっと見つけた不動産屋は祐一の叔母にそっくりだった。
「フフフッ……どなたのことですか? 私はただの不動産屋ですよ」
「秋子さんじゃないんですか…………」
「まあ、それはともかく、お客様、良いタイミングですよ、こちらが一押しの物件です」
「……て、ここしかないなんてことないですよね?」
「はい、ここしかありませんよ、この街で空いてるのは」
「…………」
祐一は不動産屋の巧みな話術で契約されらてしまう。
「ご契約ありがとうございました〜」
「こんな馬鹿な……」
ふと時計が目に入る。
「やべぇ、学校の方の手続きもしないと……」
祐一は学校に向かった。



「さあ、香里さん。音楽で祐一さんを音楽室に誘導しますよ」
「………………」
「あははーっ ♪」

チ〜〜ン ♪

「あははーっ ♪」

チ〜〜ン ♪

「あははーっ ♪ あははーっ ♪ あははーっ ♪」

チ〜ン ♪ チ〜ン ♪ チ〜〜ン ♪

笑い声に合わせて、トライアングルの音が響き渡る。

「どうですか? 佐祐理のトライアングル ♪」
「さあ、香里さんも」
「…………」

チン ♪ チン ♪ チン ♪

「………………」
「あははーっ ♪ 祐一さんなかなか来ませんね ♪」
「あらあら、不思議ですね」
「……防音設備がしっかりしてるのね……」
こんな格好(女3人でトライアングルを鳴らしている)を見られなくて良かったと香里は思った。



「こうなったら、この子を使いましょう」
「あう〜?」
「いいですか、真琴。祐一さんをお洋服屋さんに誘導して、背中のファスナーを上げてもらうのですよ」
「あぅ〜〜?」
「あははーっ ♪ 言葉が解ってませんね ♪ 所詮は動物ですね ♪」
「でも、昨日までは普通に喋っていなかった……?」
「あらあら、真琴に演技は無理だと思って、記憶を消したのが失敗だったかしら?」
「もしかして……相沢君と同じように殴ったの……?」
「嫌ですね、香里さん、そんな酷いことしませんよ」
(相沢君にはしてもいいのね……)
「お薬(忘却味のジャム)を飲ませただけですよ」
「!」
(あれを食べさせられるよりは、殴られた方がマシね……)
「それにしても困りましたね」
全然困っているようには見えない表情で『28歳』は言う。
「とりあえず、祐一さんにぶつけてみましょう」
「あははーっ ♪ そうですね ♪」
「……行き当たりばったりね……」
「あぅ〜?」



祐一は、誰かにつけられている気配がしていた。
もしかして、さっきの新型ゾイド?が復活して追いかけてきたのだろうか?
後ろを振り向くと、目の前にそいつは居た。
「あう〜……」
全身を使い古した毛布のような布で被い、顔も確認できない。
「ん?」
祐一は既視感を覚えた。
前にもこんなのと出会ったことがある気がする。
「……あぅ……」
「…………」
しばらく見つめ合っていると、『布きれ』が突然、
「……やっと見つけた……」
「はあ?」
「お兄様、覚悟!」
纏っていた布を投げ捨てると、襲いかかってきた。
「…お兄様だけは許さないから」
「おまえのような妹を持った覚えはないぞ」
「酷い、お兄様、真琴のこと忘れたの!」
「真琴……?」
もの凄く聞き覚えがあるような気がする……だが、思い出そうとすると例によって後頭部に痛みが走る。
「…覚悟!」
真琴は固めた拳を後ろに引き、間合いを一気に詰めた。
かわす
そのまま殴られる
サッ。
祐一はそれをかわす。
ブンッ、と今度はもう一方の拳が飛んでくる。
ヒラリッ。
再びかわす。
ブンッ、サッ。
ブンブンッ、サッサッ。。
ブンッ、ブンッ、ブンッ、サッ、サッ、サッ。
「はーー…ぜーー…ぜーー…!」
「…………」
祐一はまた既視感を感じていた。これとまったく同じ『戦い?』をしたことがるような気がする。
「お兄様の馬鹿っ!」
ぽこっ、ぺちっ、ぽこっ、ぺちっ!
今度はわざと攻撃をくらってみるが、まったく痛くない。
「はーー…ぜーー…ぜーー…!」
「…………」」
「あぅーっ…」
祐一は少女の額を手のひらで押さえつけてみる。
ぶんぶんぶんっ!
空を切るばかりで、実際全然届かない。
「……ふむ」
ここまでの一連の動作は以前に全て経験済みのような気がする。
「未来の軌跡でも見えるようになったのか?」
いつのまにそんな能力を身につけてしまったのだろうか?
「うーっ………今日はここまでしてあげるわ、お兄様」
真琴は踵を返すと、ふらふらとした足取りで去っていく。
「おいっ……」
一瞬、追いかけようとも思ったが、祐一は結局、真琴の背中を見送ることにした。
これ以上、関わり合いにならない方がいい気がしたからだ。
それは正しい判断だが、同時に無駄なあがきでもあった……。



「真琴、後でおしおきですね」
「あははーっ ♪ やっぱり、役に立ちませんでしたね ♪」
「でも、なぜ『お兄様』って……?」
「フフフッ、記憶を消した後、佐祐理さんにお願いして、真琴に新しい記憶を刷り込んでもらったんですよ」
「あははーっ ♪ 佐祐理の魔法です ♪」
そういえば、この『あははーっ ♪』は子供の玩具のような『魔法のステッキ』を手に持っていた。
でも、魔法なんて実際に使えるわけが……。
「新しい設定を何度も何度も耳元で囁いたんですよ ♪ 意識を取り戻しかける度に、このステッキでもう一度眠らせて(殴って)…… ♪」
「……魔法って……」
それを魔法と読んで良いのだろうか?
睡眠学習&暴力……。
「フフフッ、まるで『洗脳』か『調教』ですね」
なぜか楽しげに言う『28歳』……。
「物騒な単語……言わないで……」 
「うぐぅ! ボクに任せてよ」
『うぐぅ』が突然会話に割り込んできた。
「……生きてたの?」
「うぐぅ! 勝手に殺さないで!」
「あらあら、『役立たず』が何の御用かしら?」
にっこりと笑顔で『28歳』がトドメのセリフを吐く。
「うぐぅ、秋子さん酷い……」
「あははーっ ♪ 何か新しい作戦でもあるんですか、役立たずさん?」
「任せてよ! ボクのちょっぴりドジな魅力で祐一く……お兄ちゃまを悩殺するんだよ!」
「『お兄ちゃま』ね……」
(もの凄く恥ずかしい呼び方ね……でも、あたしも……)
恥ずかしい呼び方をしなければならないのだ。一番スタンダートな呼び方のキャラを選んだからいくらかマシではあるが……。
「じゃあ、ボクが……」
「さゆりんサンダ〜♪」

ボカッ!

「うぐぅ!?」
背後から『魔法のステッキ』で後頭部を殴打された『うぐぅ』が地面に倒れ込む。
「あははーっ ♪ 次は佐祐理の出番ですよ ♪」
「……だからって、殴り倒さなくても……しかも不意打ち……」
「ふぇ?」
『あははーっ ♪』は何を言われているのか解らないような、罪の意識の欠片もないような表情をする。
「…………」
『28歳』には劣るものの、この『あははーっ ♪』ももの凄く危険な存在であることを香里は再確認せずにはいられなかった。
「では、佐祐理さん、お願いしますね」
「佐祐理にお任せです ♪」
「………………もの凄く…不安だわ……」



「今度はなんだ……?」
祐一はまた背後に気配を感じていた。
だが、今度のはさっきのとはまるで違う。
もの凄く強大で得体の知れない気配だ。
殺気や悪意というわけでもないが、好意的な気配や視線には思えなかった。
「あははーっ ♪」
明らかに背後から笑い声が聞こえ、祐一は振り返った。しかし、誰もいない。
「気のせいか……」
再び歩き出す祐一、しかし、5,6歩も歩くと、再び……。
「あははーっ ♪」
サッと素早い動きで背後を振り返る祐一。しかし、やはり誰もいない。
「あははーっ ♪」
サッ!
「あははーっ ♪」
ササッ!
「あははーっ ♪ あははーっ ♪ あははーっ ♪」
ササッ! ササッ! ササッ!
そういったやりとりが十回近く繰り返された後、祐一は後ろを振りかえらずに、全速力で逃げ出した。
「あははーっ ♪ なぜ逃げるんですか、祐……おにいたま ♪」
背後から追ってくる『笑い声』から逃れるために、祐一は死に物狂いで走った。
しかし、『笑い声』を振り切ることは不可能だった……。



「流石、佐祐理さんですね。あの距離で、相手に姿を認識させないなんて」
「……化け物よ……」
そう、『あははーっ ♪』は常に祐一の死角から死角に高速移動していた。祐一が何度後ろを振り返っても認識できないわけである。
「まあ、魔法少女ですから、佐祐理さんは」
「あれも魔法なの……?」
細かいことを気にしてはいけない。『あははーっ ♪』と『28歳』を人間の次元で考えてはいけないと、香里は自分に言い聞かせた。
「認識不可能な追跡者って所ね……」
「ステルスストーカーとかサイレントストーカーとかいうと素敵に聞こえますね」
「怖いだけよ……」
決して姿を見せず迫ってくる笑い声……ホラー以外の何ものでもない。唯一の救いは今が夜ではないと言うことぐらいだ。これが深夜だったら怖さは数十倍だろう。
「どうも上手く行きませんでしたが、香里さんがヒロインとして力量不足である以上仕方ないですね」
(あたしのせいなの!?)
計画と計画の実行者が悪かったせいだと思うが……口には出せなかった。
「フフフッ……まあいいでしょう。時間はまだまだいくらでもあります。では、今回のオチの準備をしましょうか、香里さん」
「………………解ったわ……」
もはや、後戻りはできなかった。



「ここでいいのか?」
奇跡的に『笑い声』から逃げ切った祐一は、不動産屋に渡された住所に辿り着いていた。
だが、そこはどうみてもアパートではなく一軒家、しかも明かりがついている。
「こんばんわ……ごめんください」
パーン! パパーン!
クラッカーの音が響く。
「うぐぅ! おかえり、お兄ちゃま!」
「あははーっ ♪ お帰りなさい、おにたま ♪」
「あぅ〜、お帰り、お兄様」
「お帰りなさい……相……お兄ちゃん……」
「お兄ちゃんって……みんな、俺の妹?」
「そうだよ、お兄ちゃま」
「そうですよ、おにたま ♪」
「あぅ〜」
「ええ……そうよ、相…お兄ちゃん」
(凄く無理がある設定だけどね……素直に信じたらどこかおかしいわよ……)



「フフフッ、流石に戸惑っていますね、祐一さん」
『28歳』は家の庭から、その様子を眺めていた。
「ですが、まだまだこれからですよ……さあ、妹4人セット第2弾と第3弾を手配しなくては……」
『永遠不変の28歳』の姿は夜の闇に溶け込むように消えた。


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Kanon Princeess(カノン・プリンセス)第1話