カノン・グレイド
|
蒼き日。 RAIN OF CRISISなどと後に呼ばれることになる日。 カノン・シティに住む多くの者の命を奪い、歴史を秩序を崩壊させた絶対的な災厄。 その災厄の正体を知る者は少ない。 巨大な水の龍と黒き獣が街を、人を食い散らかしていった……それが生き延びた者が証言する蒼き日に起こった出来事だった。 一面に広がる瓦礫の上に茜は一人立っていた。 茜の周りには誰も居ない。 全員、粒子の光で跡形もなく消し飛んだのか、それともこの瓦礫の山の下に埋まったか。 どちらか解らない……いや、どちらでも茜にはどうでもいいことだった。 「……水……誰ですか?」 水を操ろうとした茜は動作を途中で止めると、元々は鍵城の奥への入り口だったはずのところに視線と声を向ける。 「不自然な話ですね。100メガワットはゆうに超えているという威力で、この程度の破壊……一室が崩壊しただけで、鍵城自体にはたいした損害は無い……本来なら鍵城自体が消し飛んでいてもおかしくない威力だというのに……」 姿を現したのは赤い短髪の巫女装束の少女だった。 「…天野美汐?」 「ええ、自己紹介はいらないみたいですね。あなた方も最低限の私達についての情報は調査済みのようですから」 「…水刃」 栞レベルでは認識することすらできなかった高速の水の刃が放たれる。 だが、美汐の姿はすでに無く、水の刃は虚空を通過し、向こう側の壁を破壊しただけだった。 「……体が軽い」 背後から美汐の声、美汐は鍵城の出口だった辺りに立っている。 「…速い」 見えない動きではなかった。 しかし、かなり速い。 自分と『同じぐらい』の速さだと茜は判断した。 「文字通り生まれ変わったかのように体が軽い……便利な者ですね、ナノマシンとは。ドクター・セイントの強さの秘密の一端が解ったかのような気がします」 「…水」 「遅いっ!」 突き出した茜の左手の人差し指から水が放たれるよりも速く、美汐は茜の懐に飛び込む。 「フォックスネイル!」 「…っ」 茜は、美汐の右手の一撃を辛うじて体を捻ってかわした。 茜の制服に浅く四本の線のような亀裂が走る。 「フォック……」 「…波紋!」 美汐の追撃の左手の一撃と、茜の右手の掌底突きが正面から激突した。 美汐と茜は互いに反対方向に弾き飛ばされる。 茜は壁に激突する寸前に、回転して勢いを消すと足から床に着地した。 「…獣のような動きとその爪……聞いていたあなたの能力と大分違います。寧ろ、その能力は……」 「ええ、真琴と同じ……妖狐の能力です」 美汐は波紋を受けて傷ついた左手を舐めている。 「…………」 茜は自らの右掌を見た。 浅く四本の赤い線が走っている。 美汐のフォックスネイルで切り裂かれたのだ。 「真琴と違って、あなた相手には一切の手加減の必要がありません。ですから、見せてさしあげましょう、私の……天野一族の本当の力を!」 宣言と同時に茜の視界から美汐の姿が消失する。 だが、茜は慌てなかった。 「…水刃」 茜は振り返ると同時に、水の刃を放つ。 水の刃は空中に浮いていた美汐に直撃する……はずだった。 水の刃は美汐の体をすり抜ける。 「…残像?」 「正解です」 本物の美汐は、答えると同時に背後から美汐の後頭部を蹴り飛ばした。 吹き飛んだ茜はそのまま受け身を取ることもできず、壁に激突する。 「ふむ、ただ完全回復させるだけではなく、死にかけた時より強く肉体を作り替える……これなら戦えば戦うだけ、傷つけば傷つくだけ、強くなるわけですね」 美汐は自分の体に起きていることを冷静に分析していた。 腕力や瞬発力が一目で解るほど上がっている。 「…あなたの力の秘密、なんとなく解りました」 茜は後頭部を右手でさすりながら、立ち上がった。 「…天野一族……人間でありながら妖狐の戦闘能力を持つ者。妖狐を『喰らい』その力を自らの……」 「『共生』と言って欲しいですね。天野の人間は妖狐に住処として『体』を貸し、妖狐は天野の人間に家賃代わりに『力』を貸す……理想的な共生関係です」 「…………」 「まあ、妖狐の『食欲』や『殺戮衝動』まで押し付けられてしまうのは少々困りものなのですが……」 おかげで普通の人間の社会では暮らせませんと、美汐は自嘲的な笑みを浮かべながら言う。 「では、最後に聞いておきます。あなたの仲間にみゅーみゅーと獣のように泣く女はいますか?」 「…………」 「答えていただけないならもうあなたに用はありません。私の居場所を守るため……あなたには消えていただきます!」 「…水球」 美汐が茜に跳びかかるのと、茜が無数の水でできた球を撃ちだしたのはまったくの同時だった。 「姉さん、姉さん、琥珀姉さん……」 声に答えるように、瓦礫の中から魔女が姿を現した。 「あは〜、こんなに速くアレが来るなんて計算外でしたよ」 魔女はぼろぼろになったローブを脱ぎ捨てる。 「とっさに予備のローブを被らなかったら危なくお姉ちゃん死んじゃうところでしたよ、翡翠ちゃん」 赤毛の割烹着の少女は、自分を琥珀と呼んだ少女に笑顔を向けた。 そこに立っているのは舞に瞬殺されたメカ翡翠と同じ顔をしたメイド服の少女。 無表情なのはメカ翡翠と変わらないが、顔に繋ぎ目もなければ、あそこまで不健康というか冷たそうな肌をしてもいなかった。 当然である、彼女はメカ翡翠と違って人間なのだから……メカ翡翠のモデルになった本物の翡翠、魔女琥珀の双子の妹である。 「姉さん、あれを……」 琥珀は翡翠の指さす方向に目を向けた。 亜麻色の三つ編みの少女と赤毛の巫女が人間離れした死闘を演じている。 無数の水球と火球が激突したり、お互いの水の刃と鋭利な爪をかわしあったり、二人の実力は互角なように見えた。 「どうしますか、姉さん? 介入します?」 「駄目ですよ、翡翠ちゃん」 琥珀は人差し指を立てると、子供にしかるように『めっ』といった感じで妹を制する。 「姉さん?」 「化物は化物同士、勝手にやらせておけばいいんですよ」 顔はいつもと変わらない笑顔だったが、琥珀の声からは強い嫌悪や侮蔑が感じられた。 「姉さん……」 「さあ、目的のものは手に入ったことだし、ただの人間は化物同士の争いの巻き添えをくわないうちに引き上げるとしましょう。幸い、化物さん達は互いの相手に夢中で、私達みたいな虫螻は眼中にも入っていないみたいですからね」 琥珀は自分と一緒に瓦礫に埋まっていた竹箒を掘り出すと、竹箒を刀かなにかのように居合いの格好で構える。 「せいっ!」 気合い一閃、琥珀の目の前の壁に無数の閃光が走り、次の瞬間、壁は崩れ、丁度人間一人が通れるぐらいの入り口ができた。 琥珀の竹箒は、仕込み杖ならぬ、仕込み竹箒だったようである。 「あは〜、またつまらない物を斬っちゃいました〜」 琥珀はゆっくりと、刃をしまい元の普通の竹箒に戻した。 「さあ、帰りましょうか、翡翠ちゃん。秋葉様の所へ」 「はい、姉さん」 「……あ、急に立ちくらみが……うう、さっきのダメージが……翡翠ちゃん〜」 琥珀はわざとらしくふらつくと、翡翠に抱きつく。 「お姉ちゃんもう駄目です。翡翠ちゃん、おんぶ……」 「姉さん、わざとらしいです……」 「うう、翡翠ちゃん冷たい……お姉ちゃん寂しかったんですよ、翡翠ちゃんとしばらく会えなくて……」 「姉さん……まだ別れて一日も経っていません……」 「それでも寂しかったんですよ〜」 「……肩を貸すだけですからね、姉さん」 「おんぶ〜」 「駄目です、そこまで甘えないでください」 「うう〜、翡翠ちゃんの意地悪〜」 赤毛の双子は、じゃれ合いながら、鍵城から去っていった。 「…どうやら、今の私よりは、あなたの方が僅かですが身体能力は優っているようですね」 美汐と一度大きく間合いを取ると、茜は静かな口調でそう言った。 「…もっとも、私は悪音(ONE)八将軍の中では体術は不得意な方ですが……」 茜は傘の先端を床に突き刺す。 「それでも、ドクター・セイントとソードマスターを凌駕するわけですか?」 「…では、今の状態で使える最大の技であなたを葬ります」 傘を突き刺した場所から勢いよく水が噴き出した。 吹き出す水は茜の周りを取り巻いていく。 「…水」 「では、私も我が力の源をお見せしましょう」 美汐は右手刀で自らの左手首を切り裂いた。 赤い血が床に流れ落ちていく。 「…龍」 水は茜を包み隠すと天に向かって逆流する滝のように激しさを増していった。 「呪われし黒き炎よ」 流れ落ちる血の色が赤から黒へと変わっていく。 黒い血は黒い炎と化し、美汐の姿を包み込んでいった。 「…斬」 「我が血に眠りし黒き獣よ」 水は勢いを、炎は激しさを際限なく増しながら、その姿を変えていく。 「陣!」 「その姿を示せ!」 巨大な水の龍と、巨大な黒い炎の獣はこの世に現臨すると同時に、互いを敵と定め、相手に喰らいついた。 瓦礫が崩れ、一人の人物が姿を現す。 見たことのない学園の制服、オレンジ色の長い髪、両耳の部分につけられているセンサーのような白く細長い機械が特徴的な少女だった。 少女は翡翠やメカ翡翠以上に無表情である。 少女の左腕は肩の部分から綺麗になくなっていた。 「損傷率残り30%……補給無しでこれ以上の再生は……ん?」 少女は何かを見つけたのか、瓦礫の一点に視線を送る。 次の瞬間、少女の両目から赤いレーザーのような光線が放たれ、光線を浴びた瓦礫が一瞬にして跡形もなく消滅した。 「……私は運がいい」 瓦礫の下にはメカ翡翠の残骸が転がっている。 少女はメカ翡翠の上半身の残骸を抱きしめた。 メカ翡翠の上半身の残骸はゆっくりと少女の体に『同化』していく。 数秒後、メカ翡翠の残骸は全て消え去っており、失ったはずの左上を生やした少女が立っていた。 「……少し違和感がありますが、すぐに馴染むでしょう。さて、後を追わなければ……」 すでにアレは居なくなっている。 だが、反射された粒子砲で破壊され、体が行動可能になるまで再生するまでの時間は……それ程長い時間ではないはずだ。 いますぐ追えばまだ追いつけるかもしれない。 「…………」 歩き出そうとした少女は、呼吸音を感知し動きを止めた。 背後から息を吐く音、そして煙が少女の視界に映る。 「機械というより生物みたいな再生能力ね」 「……この世界の生物は融合補食などするのですか?」 少女は振り返った。 美坂香里が瓦礫の山の上に座り込んでタバコを吸っている。 「さあね、生物も機械も融合なんて普通しないわよね……普通は」 「…………」 少女は感情の一切感じられない瞳で、分析でもするかのように香里を見つめていた。 「あなたにはいろいろと聞きたいことがあるんだけど……」 香里はタバコの火を瓦礫に押し付けて掻き消す。 「とりあえず、この瓦礫の下から名雪とその他を掘り出すの手伝って……貰えたら助かるわね」 香里は自分の座っている瓦礫の山を叩きながら、苦笑を浮かべてそう言った。 次回予告(美汐&香里) 「というわけで、第20話こと三国編第2話です」 「まあ、戦闘力というか強さのバランスがおかしいように見えるかもしれないけど、美汐さんは、真琴との戦闘の時は一切『妖狐』の身体能力を使わなかったことからも解るように、思いっきり手を抜いていたのよ」 「真琴は己の力を三分の一もまだ引き出せていないので、私がこの力を使えばあっさりと決着がついてたでしょうね」 「その上、死の淵から聖さんの血で蘇ったことで、さらに戦闘力が急激に上がったのよ」 「……私はどこかの戦闘民族ですか……?」 「正確にはあなたじゃなくて、聖さんがそれに近いかもね」 「……まあ、確かにあの方は性格的にも違和感ないかもしれませんね……戦闘狂ですし」 「じゃあ、今回はこの辺で……また会いましょう」 「良ければ、また見てくださいね」 「全てを喰らい尽くす蒼き龍と全てを灼き尽くす黒き獣……二匹の遊戯……それが蒼き日」 一言感想板 一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。 |