カノン・グレイド
第19話「永遠からの侵略者





たった一人の女だった。
雨と共に現れたその女は、その『世界』の全てを破壊尽くしてしまった。
残されたのは廃墟だけ。
この世界に『命』は一つたりとも残っていない。
この世界で残されたのは、『私』だけだ。
廃墟……瓦礫と、『私』が残っている以上、全てを破壊尽くせたわけではない……などと屁理屈を言っても無意味だろう。
それはただの負け犬の遠吠えにしかならない。
瓦礫は、かってそこに世界が、国が、街があったことを示すだけの残影にしか過ぎず、あの女が全ての生命を殺し尽くしたことは紛れもない事実なのだから……。
あの女にとって、『私』はその辺の瓦礫と同じだったのだろう。
跡形もなく破壊するのが面倒だったから、見逃した……いや、最初から『私』の存在など目にも入っていなかったのかもしれない。
それ程、あの女の力は強大で圧倒的、そして荒々しかった。
『私』はあの女の喰らった世界の食い残し、食べかす……そんなものに過ぎないのだろう。
その世界の最高位、『神』といっても過言ではない所にまで登り詰めた『私』が落ちぶれたものだ……。
今の『私』には何も残されていない。
あるのは、あの女への憎しみぐらいだ。
何の憎しみか? 己の世界を壊されたことか? それともプライドを跡形もなく砕かれたことか?
……いずれにしろ、『私』の今後の生き方は決まった。
『私』は復讐者。
命尽きるその時まで、あの女を追う……どこまでも……世界の果てだろうと、そのまた先の世界だろうと……。
あの女への憎しみ、それが『私』の全てなのだから……。




拙い……拙すぎる……よりによって、このタイミング、今日この時というの最高に拙い。
香里は表情にこそ出さなかったが、内心死ぬほど焦っていた。
「……誰?」
名雪がこの状況で当然誰かが口にするであろう言葉を発する。
全ては唐突だった。
魔女が空を飛んで逃走しようとした瞬間、世界中を震撼させるような激しい地震と共に、鍵城の壁を貫いて巨大な龍の頭部が姿を現す。
恐らく水でできてると思われる龍の頭部は、魔女を凄まじい力で弾き飛ばした。
弾き飛ばされた魔女はたまたまその進行上に居た真琴を巻き込んで鍵城の壁にめり込むと、ピクリとも動かない。
そして、水の龍が初めから存在していなかったのように唐突に消えると、代わりにそこには一人の少女が立っていた。
白い水玉模様のピンク色の傘を差した亜麻色の髪の三つ編みの少女。
整った容姿のかなりの美少女だが、少女の顔には一切の感情が浮かんでいなかった。
着ているのはどこかの学園の制服。
少女は冷たく醒めきった瞳で香里達を見つめていた。
いや、ホントに見つめているのか? ただ偶然そちらに顔を向けているだけで、少女の瞳には誰の姿も映っていないのでないか? 
そう思えるほど少女の瞳は『虚無的』で、何の感情も感じられなかった。
「…里村茜さん、雨の里村、水妖姫などと呼ばれて恐れられる……『悪音(ONE)』の切り込み隊長さんです」
落ち着いた女性の声が答える。
「美凪さん?」
いつのまにか、少女の背後、鍵城の入り口に遠野美凪が立っていた。
「…もっとも、彼女の名前を……悪音の意味と存在を知っているのは、私以外では香里さんと……川澄舞さんだけだと思いますが……」
「香里?」
名前をあげられた香里と舞は、美凪や名雪の方を向くこともない。
香里と舞は、少女が現れてからずっと、少女だけを睨み続けていた。
一瞬たりとも少女から目をそらすわけにはいかないといった感じで、少女だけを睨み続けている。
「……香里?」
香里が怯えている? 焦っている? 香里からいつもの余裕が欠片も感じられなかった。
「……名雪、今、目の前に居るのは『敵』よ。最強で最悪の敵、今すぐそう思いなさい……死にたくなければね……」
「えっ?」
名雪は困惑しながら、少女に視線を戻す。
少女は開いていた傘を閉じる作業していた。
「来るっ!」
少女が傘を閉じ終わるのとまったく同時に舞が叫ぶ。
「どきなさい、栞!」
次の瞬間、香里が栞を蹴り飛ばしていた。
「……えう!? いきなり何をするんですか、馬鹿姉……お姉ちゃんっ!?」
立ち直ると同時に香里に文句をつけようとした栞は驚愕する。
栞の目に映ったのは、胸から血を吹き出し、床に倒れていく姉の姿だった。



「お姉ちゃん!? お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
栞は香里の側まで駆け寄ると、狂ったように姉を呼び続ける。
何が起きたのか栞にはまったく理解できていなかった。
解っているのは、姉がいきなり死にかけている。
それも、おそらく自分を庇って……。
「……ば……馬鹿……あたしは平気だから……前を……あの女から……目をそら……」
「お姉ちゃん!?」
その時、何かが弾ける音が栞の耳元で響いた。
「目をそらさなくても同じことだと思うがな」
「霧島先生?」
いつのまにか霧島聖が、倒れている香里と、その横に座り込んでいる栞の前に立っている。
聖の両手ににはそれぞれ四本のメスが出現していた。
「霧島先生、右手から血が……」
「ふむ、さっきの一撃か……」
「えっ?」
「君たちは邪魔だから、さっさと部屋の隅にでも移動したまえ」
「…手伝いましょうか?」
美凪はいきなり栞の背後に出現すると、香里の足を掴み引きずり出す。
「えぅ、何を……」
「…レベルの足りない弱者と怪我人は邪魔だということです」
「えぅ?」
「…聖さんが庇わなければ、あなたもお姉さんの後を追うところでした……いいえ、即死ですから、先に逝く……が正しい?」
部屋の隅を目指して、香里を引きずっていく美凪の後を追いながら栞は話しかけた。
「だから、さっきから何を言っているんですか!?」
「…見ていれば解ります……いえ、あなたのレベルでは見ることもできませんか?」
「えううぅ?」
美凪は壁際に到着すると、香里を放りだし、自らは壁にもたれかかる。
栞は美凪の視線の先を追った。


名雪には辛うじて『見る』ことができた。
里村茜という少女が振った傘の水しぶきが香里の胸を深く切り裂くのを……。
そして、今。
香里がなぜ、茜から一瞬たりとも目をそらすことができなかったのかも理解できた。
目の前で今繰り広げられている光景によって。
「……ブラッドスラッシュ(血流斬刃)!」
聖の右手から吹き出した血が全て刃と化し、茜に襲いかかる。
「…水刃」
掠れるような小声と共に茜が右手首を軽く振ると、右手から飛び出した水の刃が血の刃を全て迎撃した。
「はっ!」
血の刃と水の刃が激突した瞬間、舞が死角からモノディメション・ソードを茜の首に振り下ろす。
だが、刃、より正確に言うなら刃の前面に発生した一次元が茜の首に届くよりも速く、茜は左手で舞の右手を掴み、剣の動きを強制的に止めさせた。
「…単一次元の刃?」
茜は一目で、舞の剣の正体を見切ると、左手首を捻り、合気道のような要領で舞を投げ飛ばす。
舞が壁に叩きつけられた瞬間、今度は聖が右手の四本のメスで茜に斬りかかった。
茜は一歩下がると同時に半身を捻り、メスを回避すると同時に、右手に持っていた傘を聖の首を狙って斬りつける。
聖は辛うじて左手の四本のメスで傘を受け止めた。
聖は右手の四本のメスを茜の腹部を狙って突き出す。
しかし、その時にはすでに茜の傘が引き戻されており、聖の右手の四本のメスを打ち落とした。
「くっ!」
さらに、茜は傘を切り返し、聖の左手の四本のメスも打ち上げる。
「…波紋」
茜の掌底突きが聖の左胸に炸裂した。
聖が吐血しながら前のめりに倒れ込んでくる。
その時、聖の背後から舞が飛び出した。
そのまま聖ごと茜を斬り捨てようと、剣を振り下ろす。
「…水爆」
舞が剣を振り切るよりも速く、茜を中心に大量の水が爆発するように弾けた。
聖も舞も吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。
「そんな、聖さんと舞さんが……」
名雪は呆然と一連の戦いを見守っていた。
聖のブラッドスラッシュから、茜の水爆によって聖と舞が吹き飛ぶまでの全てのできごとは、一分にも満たない数十秒のできことである。
名雪の介入する間などなかったし、何よりあゆとの戦いで殆ど全ての冷気を使い切っている名雪には介入するだけの力など残っていなかった。
「…なるほど、実力の十分の一も出さずに、二人を軽くあしらいますか……」
美凪が感心したように呟く。
「美凪さん、美凪さんは私達の敵ですか、味方ですか?」
香里につきっきりだった栞が美凪に唐突に尋ねた。
「…私は誰の敵でも味方でもありません」
美凪はさらりとそう答える。
「……まあ、あの女の仲間ではないんですよね? それならお姉ちゃんを少しお願いできますか?」
「…構いませんが……まさか、戦うつもりですか?」
「愚問です!」
栞はポケットから二門のガドリング砲を取り出した。
「…あなたでは、彼女の動きを目で捕らえることすらできないと思いますが……それでも戦いますか?」
美凪は馬鹿にするわけではなく、ただの事実と言った感じで淡々と述べる。
「馬鹿にしないでください! 戦い方なんていくらでもあるんですよ! じゃあ、お姉ちゃんをお願いします」
栞はそう言うと、茜の方に向かって駆けていった。



「ファイ……えぅ!?」
栞が引き金を引くよりも速く、ガドリング砲が根本から切断される。
「…狙いをつける、引き金を引く、弾丸が発射される……」
前方に居たはずの茜の姿が消え、栞の背後から茜の声が聞こえてきた。
「…時間のかかりすぎです」
「えぅ!」
栞は感じた恐怖を切り裂くかのように、振り向きざまに湾刀を振るう。
「…あなたが一番脆弱です」
茜は自らを両断しようとした湾刀の側面に波紋(掌底突き)を叩き込んだ。
湾刀の刃が脆いガラスか何かのように粉々に砕け散る。
栞は一端間合いを取るために後ろに跳ぶと、もう片方の湾刀を茜に向かって投げつけた。
「…水刃」
茜が右手に持った傘を振り上げると、飛び散った無数の水滴が、水の刃と化し、湾刀を切り裂き、そのまま栞に襲いかかる。
「くっ! カラミティパームっ!」
栞は水の刃に向けて両手を突き出した。
水の刃は栞の掌に触れた瞬間、一瞬で跡形もなく『消滅』する。
「…惨禍の掌ですか…なるほど、言い得て妙です」
「何を訳の分からない言葉を言っているんですか! 今、あなたも跡形もなく消し……」
栞が最後まで言葉を紡ぐよりも速く、栞の左胸を何かが貫いた。



茜が右手の人差し指を栞に向けて突き出していた。
「…水砲。文字通り、ただの水鉄砲です」
茜は指先から、高出力で水をレーザーか何かのように撃ちだしたのである。
「……あ……甘く……みないでください!」
左胸を押さえて前のめりに倒れながらも、栞は死滅眼を発動させた。
栞の周りに無数の白い刃(常人には不可視の刃)が出現すると、一斉に茜に向かってその刃先を延ばす。
「…水壁」
茜の前面から突然、大量の水が、逆流する滝のように噴き出した。
「……む、無駄です……よ」
不可視ゆえに回避は不可能。
そして、実在する物質でないゆえに、防ぐどころか、触れることも不可能。
不可視の刃は、水壁をすり抜けると、そのまま茜を串刺しにするかに見えた。
「…否!」
水壁と茜の間にさらに『不可視の壁』が出現する。
水壁を貫いた不可視の刃は不可視の壁に弾き返された。
「そ……そんな……ば……か……」
最後の力を振り絞った不可視の刃を防がれた栞は、そのまま前のめりに倒れ込み意識を失う。
「…最後の攻撃だけはなかなかでした」
茜は僅かに乱れた呼吸を整えるように、息を吐いた。
「…では、後始末を……」
茜は何か大技を放つつもりなのか、『力』を高めていく。
「後始末にはまだ早いわよ」
いつのまにか立ち上がっていた香里が紫煙を吐き出していた。
「香里!?」
「名雪、栞をお願い……」
「う、うん……」
香里は、倒れている栞を庇うように前へ、茜の側へと歩み寄っていく。
「…ナノミスト……極小の粒子が内側と外側から同時に肉体の治療を行う」
香里がタバコを吸い、紫煙を吐き出す度に、香里の体の傷は信じられないスピードで癒えていくが、それと比例するよりに香里の顔はどんどん苦しげに歪んでいった。
「…吸いすぎです。傷は塞げても、失った体力や生命力は快復しない、寧ろ急激で無茶な治療を続ければ続けるほど体の負荷……肉体の崩壊は早まります」
茜は珍しく長いセリフを口にする。
「余計な心配よ……」
香里は治療を終えると、タバコを吐き捨てた。



「さて、どうしたものかしらね……」
傷は全て塞いだものの、体力も精神力もとっくの昔に限界を超えていた。
全能眼どころか、アブソリュートフィストすらどれだけ使えるか解らない。
そもそも、こうしてただ立っているだけでも辛かった。
いつ意識を失って倒れても不思議はない。
「勝機なんて欠片もないけど……それでもやるしかないわね」
いつのまにか香里の右手に火のついたタバコが握られていた。
「こういう勿体ない使い方はしたくないんだけどね……」
タバコの先端から漂う紫煙が一つの形を成していく。
紫煙は小型の投げ槍の形で自らを固定させた。
「せいっ!」
香里は紫煙でできた投げ槍を左手で掴むと、茜に向かって投げつける。
「………」
この程度の攻撃に、不可視の壁どころか、水壁すら作る必要はないと判断した茜は、傘で打ち落とすことに決定し、迎撃行為を開始した。
「弾けろっ!」
茜が投げ槍を打ち落とそうとした直前、投げ槍は弾けるように無数の槍に分裂すると、そのまま茜の体に降り注いだ。
分裂する直前ですでに近距離だったため、壁の類を生み出すことも適わず、無数の小さな槍達は見事に茜の全身を貫く。
「はあっ!」
さらに、香里はタバコから漂う紫煙を鞭と化し、茜に向かって振り下ろした。
槍の雨を浴び、一瞬硬直していた茜は瞬時に『復帰』すると、傘で紫煙の鞭を切り落とす。
「…水球」
茜の左手から掌サイズの水の球が撃ちだされると、香里の腹部に命中し、香里を背後の壁まで吹き飛ばした。
「…そんな弱り切った状態で、機転だけで私にダメージを与えるとは……残念です、万全の状態のあなたと戦ってみたかったです」
茜は傘の先端を床に突き刺す。
「…残念ですが、これで終わりです」
傘を突き刺した場所から勢いよく水が噴き出した。
吹き出す水は茜の周りを取り巻いていく。
「…水龍ざ……ん?」
何を思ったのか、茜は突然、技の発動を中止した。
通路の入り口に白いフードの人物が立っている。
フードの人物の胸の位置が凄まじい輝きを放っていた。
「…またあなたですか」
茜は心底嫌そうな表情でため息を吐く。
「消えされ、化物! メイドスマッシャー!!!」
フードの人物の胸部から、茜を余裕で飲み込めるほどの膨大で高出力の光の粒子が撃ちだされた。
「…水鏡!」
茜の前で吹き出していた水が一点に集まり、楕円形の巨大な盾となり、茜の姿を覆い隠す。
水の盾は光の粒子を、鏡で光を反射させるかのように、あっさりと完璧に跳ね返した。
跳ね返された光の粒子は白いフードの人物を呑み込む。
そして、光の粒子は、部屋を、いや、鍵城自体を吹き飛ばすかのような大爆発を起こした。







































次回予告(美汐&香里)
「というわけで、第19話こと三国編第1話ですね」
「いっそのこと、作品タイトルすら変えて、新装開店?したかったわね」
「まあ、とりあえず、三国編(第2部)ということで……」
「鍵城編を丸々飛ばして、ここから読み始めるのもありかもしれないわね。まあ、もろ続きみたいな感じだから無理があるかもしれないけどね……」
「そんなわけで、今回気になっているのが、茜さんですね。書く前に一応ONEをプレイしなおしたのですが……美凪さんとかぶっていないかなと心配です」
「一応、茜さんの方が端的(セリフが短い、言い捨て)という違いがあることはあるんだけどね……『…』にするべき『……』にすべきかがもっとも最後まで悩んだわね」
「ただ単にONEはフォーマット上、全て『……』ではなく『…』だっただけだから、別に『……』にしても良かったと思います。ただ、音声を聞いても、なんとなく『…』ぐらい間をを置いた感じの喋り方だなと……なんとなく思ってこちらを採用しました」
「……て、そんな細かいことは人によってはどうでもいいんでしょうけどね」
「まあ、その辺はこだわりですからね……」
「じゃあ、今回はこの辺で……また会いましょう」
「良ければ、また見てくださいね」
「水を得ずとも強き魚……その強さの底は今だ果てしない……」























『香里のタバコ』
煙がナノ(マシン)ミストであり、体内と体外の煙で同時に治療を行うことができる。
ナノミストを物質化させ、武器やバリアのように使うことも可能である。
香里の吸っているタバコが全てこういった特殊な物なわけではなく、普段吸っているのは普通のタバコである。



『メイドスマッシャー』
とある人物の胸部に装備された粒子砲。
胸は二つあるため、片胸だけで撃った場合威力は半減するが速く発射できる。



『波紋』
ただの掌底突きだが、その威力は普通の人間の数百倍。
水面の波紋のような衝撃を相手の体内に叩き込み、内部から破壊する。


『水鏡(すいきょう)』
かなり大量の水を必要とする防御(反射)壁。


『その他の水技』
水刃(すいじん)、水玉(すいぎょく)、水砲(すいほう)、水壁、(すいへき)、水爆(すいばく)等々、それぞれ名前の通りの効果で水を操る。
使用する水の量や質によって威力は未知数に変化する。
今回は僅かな水滴や体内の水分しか利用していないため限りなく威力が弱めである。


『否(いな)』
拒否、拒絶といったマイナスの意識を物質化させた不可視の障壁。
元々が、意志や精神の力であるため、物質的な攻撃でない、精神や生命力に直接ダメージを与える攻撃(死滅眼など)も遮断することができる。
防御力の強さは、茜の拒絶する意志の強さに比例する。









一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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