カノン・グレイド
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「私のことは……気にしなくていいので……行ってください」 栞はそう言って、真琴を送り出した。 真琴が、香里に任された自分と、生きているのが不思議なぐらいの深手でを負って気を失っている美汐の間で困っていたからである。 「まったく、どちらを最優先すべきか即決できない人は困ったものです……」 悩んでいる間にも美汐が助かる確率は減っていっただろうに。 律儀というか、甘いというか。 「まあ、お姉ちゃんみたいに優先基準がはっきりし過ぎている、犠牲を欠片も気にしない冷血人間もどうかと思いますけどね」 あの女の場合、もし妹である自分と、水瀬名雪の二択を迫られたら、迷わず名雪を選ぶに違いなかった。 「……えぅ、流石にまだふらつきますね……」 栞は通路の壁にもたれかかる。 「えぅ〜」 栞は壁に手をつきながらも、通路を前へ前へと進んでいった。 「……えぅ?」 しばらく進み続けると、少し広めの部屋のような場所に辿り着く。 その部屋の真ん中に何かが倒れていた。 「……えぅ!? 霧島先生!?」 栞は部屋の真ん中まで移動する。 霧島聖は、胸の真ん中を赤く染めて、死んだように倒れていた。 「予想の範囲内です。戦闘を開始します」 シオンの前に、角か触角のようなくせ毛をした男が立ちはだかっていた。 「ふっ!」 シオンは右手首のリングからエーテライトを引き出すと、男に叩きつける。 透明で鋭利な糸の刃は見事に男の首筋に命中したが、男の首が切断されることはなかった。 「んっ?」 違和感を覚えながらも、シオンは左手に握っていた拳銃を迷わず男に向けて発砲する。 男の額に弾丸が五発連続で命中したが、男の頭部は吹き飛ぶことも、血が噴き出すこともなかった。 「……はっ!」 シオンは再びエーテライトを男に叩きつける。 だが、今度のエーテライトの一撃も男を傷つけることはできなかった。 「……この手応え……やはり」 シオンはエーテライトを引き戻すと、さらに後方に跳ぶ。 触覚の男は無言でシオンを追撃してきた。 「予測済みです」 シオンの右手から伸びたエーテライトは、触覚の男の足元に絡み付く。 シオンはエーテライトを引っ張り、男を自分の間近まで一気に引き寄せた。 「てやぁっ!」 シオンはエーテライトを刃のようにしならせたまま、回転し上昇していく。 至近距離でのエーテライトの回転斬りをもってしても男を傷つけることはできなかったが、衝撃には耐えられなかったのか、男の体が揺らいだ。 シオンはその隙を逃さず、空中から急降下し、男の頭部を両膝で挟み込む。 「飛べ!」 「寝てろ」 「甘いっ」 「これで」 「無駄だと分からないのですか?」 シオンは計五回のフランケンシュタイナーを男に叩き込んだ。 男は頭部を杭のように地面に埋め込んだまま、動きを停止している。 「……さて、この顔には覚えがあった気がするのですが……」 「北川潤、新生KANO四天王の一人……数合わせという方が正確ですか」 シオンが高速思考で自らの記憶を探るよりも早く、見知らぬ声が答えた。 いつのまにか、シオンのすぐ横にフードを頭から深くかぶった白いローブの人物が立っている。 「見るからに胡散臭い方ですね。あなたも魔女か何かですか、琥珀のような……」 「ただの不審人物で結構です。それよりも……」 フードの人物の左腕が微かに揺らいだと思った瞬間、触覚の男の左腕が肘の部分から切断された。 「なっ……」 「驚く部分が違います。私がコレを切断できたことではなく、この切断されたものを見て驚いてください」 シオンはフードの人物の言うとおり、触覚の男の切断面を注目する。 「機械?……生物?……いや、やはり機械……ですか?」 「ジェネテックフィギュア……『ジェネ・テック』とは遺伝子技術の略……機械生物……いわば、遺伝レベルまで分子機械で再現されたモノ……この説明で理解できますか?」 「馬鹿にしないでください。理解はできます……できますが……」 「あなたの『世界』では夢物語、SFの領域でしょうね」 「ええ、私の世界、私の知る知識はもっとオカルティックなものが主でしたから……」 「まあ、北川潤という存在の外見と能力を完璧に再現したアンドロイドとでも思っていただければ充分かと……来ましたね」 通路の向こうから、北川潤の姿をしたモノが四体姿を現した。 四体の北川はシオン達の方に近づいてくる。 「やっかいな……」 「そうでもありません」 フードの人物の姿が突然消えたかと思うと、次の瞬間、四体の北川の向こう側に出現していた。 「所詮、『上』からかすめ取った技術で作った粗悪品に過ぎません」 フードの人物の左肘から刃が生えている。 ジャキンという音と共にその刃が収納された瞬間、四体の北川が細切れになった。 「パワー、スピード、テクニック、全てオリジナルの70%も再現できていない……装甲の強固さぐらいしか誇るものがありませんね」 「……そんなものに手こずっていたわけですか、私は……」 「自嘲や自虐する必要はありません。パワー、スピード、テクニック全てあなたの方が遙かに上でした。恐らく、オリジナルと戦ったとしても、あなたはまず負けないでしょう。ただ、あなたの糸も弾丸も刃が通らなかった……それだけのことです」 「…………」 シオンは少しすねたような表情を浮かべる。 「では、私はこれで失礼致します…………そうそう、あなたが探していた資料室ならこの先ではなく、二つ前の角を左です」 「……情報提供は感謝します」 「いえ、では、また」 フードの人物は通路の奥に消えていった。 鍵城の入り口付近。 「なるほど、なるほど。こんな玩具を起動させたということは、四天王は全員やられちゃった〜ってところですか?」 魔女は竹箒に乗って宙に浮いていた。 彼女の眼下には真琴や美汐や佐祐理の姿をしたモノの残骸が転がっている。 「あっははっ、よっぽどお料理の邪魔をされたくないんですね〜」 通路の向こうから、幾人もの真琴や美汐や佐祐理達が姿を現した。 「ふーふふー、ふーふふー」 魔女は真琴達に向かって飛んでいく。 「さあて、お掃除を始めますよ。燃え尽きろっ〜!」 魔女は地上の真琴達に向かって絨毯爆撃を開始した。 「え〜、トヤマの薬売りでござーい」 「あぅ〜っ!?」 意識を失っている美汐を背負いながら鍵城へ向かおうとしていた真琴の前に、妙な少女が姿を現していた。 短めのクリーム色の髪に黒い大きなリボン、長いマフラー、緑と草色の上着の他に黒いスパッツ。 「ふむふむ、これはまた見事に心臓を貫いたものだな。生きているのが不思議なぐらいだ」 少女は美汐を一瞥するとそう告げた。 「あぅ……あなた、誰?」 「トヤマの薬売りだが」 「トヤマってどこよ!?」 「細かいことを気にするな。それよりも……」 少女は懐から、赤い液体の入った薬瓶を取り出す。 「薬はいらないか? その少女の胸の傷も一発で治る万能の妙薬だぞ」 「くれるの?」 「一万円」 「あぅ!?」 「…………」 「……本当に一万円もとるの?」 「こっくり」 少女は当然だという表情をしていた。 「あぅ〜っ……」 「と言いたいところだが、今回は特別サービスで無料にしてやろう。元手もかかっていないことだしな」 「ホント!?」 「うむ、私の気が変わらぬうちに、小娘をそこに寝かせるといい」 真琴は少女の言うとおり、美汐を床に寝かせる。 「丁度良い実験材料だ」 「い、今なんて……?」 少女は薬瓶のフタを空けると、薬瓶を美汐の心臓をめがけて放った。 赤い液体が、美汐の心臓の傷口に降りかかる。 「これでいい」 「ホントに大丈夫なの? ねえ、あ……」 「では、サラバッ」 言葉だけを残し、少女の姿はすでに消え去っていた。 「えっと、あれって確か……北川君?……だったよね」 名雪は迫ってくる男の名前を口にした。 「……そう、鍵城に居た頃のことは思い出したんだったわね」 香里は、肩を借りていた名雪から離れる。 「香里?」 香里はポケットからタバコを取り出すと、口にくわえた。 マッチもライターも無いのに、しばらくするとなぜか自然にタバコの先端に火がつく。 「香里、そんな体でタバコを吸うなんて駄目だよ〜っ!」 「いいのよ、これは薬だから」 香里は美味そうな表情で紫煙を吐き出した。 さっきまでは名雪に肩を借りなければ満足に立ってもいられないほど弱っていた足元が今はしっかりとしている。 「さて、目の前の触覚は北川君であって北川君じゃないわ」 「北川君じゃない?」 「ええ、北川君は双子でも三つ子でもないもの」 香里はくわえたタバコの先で北川の遙か向こうを指す。 遙か向こうから、幾人もの北川が近づいてきていた。 「どうやら、まだ来て欲しくないみたいね」 香里の口から吐き出される紫煙が、香里の体中を取り巻いていく。 「……でもね、あたしはさっさとこの仕事終わりにして帰りたいのよ!」 「香里、傷が……?」 煙が触れると、聖のブラッドブレードで切り裂かれた傷、斬られた服までが塞がっていった。 香里はタバコを吐き捨てると、踏み潰す。 「悪いけど、灰皿持ってきてないのよね……」 香里は右の拳を握り締めた。 「アブソリュートフィスト!」 香里は一瞬で北川もどきの側に移動すると、あっさりとその頭部を跡形もなく粉砕する。 「ジェネテックフィギュアか……まったく、くだらない玩具を引っ張り出してくれるわね……」 「香里?」 「名雪、あなたは下手に手を出さない方がいいわよ。こいつら馬鹿みたいに硬いから……」 そう言いながらも、香里は次々に北川もどきを粉砕していった。 「でも、あたしの拳の前には硬度は無意味……寧ろ、オリジナルの方がよっぽど苦手よ。オリジナルのしぶとさだけは再現できなかったみたい……ねっ!」 香里の右アッパーが、最後の北川もどきの頭部を粉砕する。 香里は再びタバコを取り出すと、口にくわえた。 先程と同じようにマッチもライターもないのに、独りでにタバコの先端に火がともる。 「…………まったく、一服する暇もくれないみたいね」 通路の奥からさらに大量の北川もどきが姿を現しつつあった。 香里は一度紫煙を大きく吐き出すと、タバコを空高く放り上げる。 香里は右手を深く引き絞った。 香里の右拳に青い輝きが宿る。 「殲滅! ラィィトニングゥゥフィストォォッ!」 香里が右拳を突き出すと同時に、青い閃光が北川もどき達を全て消し飛ばした。 「……香里……無茶しすぎだよ……怪我してるのに……」 「一体一体殴り倒してくのと、どっちが消耗するのか微妙なところなのよね……」 香里は空から落ちてきたタバコをくわえると、疲れた顔で紫煙を吐き出す。 「次の増援が来る前にさっさと駆け抜けるわよ……まあ、次は名雪が一人で片づけてくれるって言うのなら話は別だけど……」 「うっ、急ごう、香里」 言うと同時に名雪は駆け出した。 香里は大きく紫煙を吐き出すと、タバコを床に捨て踏み潰す。 「なんとなくいろいろと読めてきたわね、UGOOが何を考えているのか……それにしても、あたしも歳かしらね……この程度でここまで消耗するなんて……」 香里は辛そうな表情で、名雪の後を追っていった。 「えぅえぅ〜、間違いなく悪い人だったけど、個人的には割と気も合いましたし、割と良い人?……だったような気がしないこともないこともないです……」 栞は誉めているのか貶しているのか、肯定しているのか否定しているのか、よく解らないことが言いながら、聖の脈をとっていた。 聖の脈は間違いなく止まっている。 「誰に殺られたか知りませんが、安らかに眠ってください」 栞は胸の前で十字をきった。 別に栞はクリスチャンでもなんでもないのだが、両手を合わせて南無とか言うより、こっちの方がなんとなく格好いい気がする……ただそれだけの理由からである。 「殺されても死なない人だと思っていたのに、どんな人間でも最後は呆気ないものなんですね……」 栞は、明日は我が身か?と、人の世の無常を憂いながらも、聖の横を通り過ぎ先へと進もうとした。 しかし、突然、何かに足をガシィッと捕まれる。 「えううぅぅ〜っ!?」 死んでいるはずの聖の右手が栞の右足首をしっかりと掴んでいた。 「じ、成仏してくださいっ!」 栞は足を振って、聖の右手を引き離そうとする。 閉ざされた聖の瞳が勢いよく開いた。 「……何を騒いでいる、栞君?」 聖は何事もなかったかのように自然に立ち上がる。 聖は自らの胸の真ん中の赤く染まった風穴に右手を添えた。 「クックックッ……」 胸の真ん中の風穴が信じられない速度で塞がっていく。 「……やっぱり、化物は殺しても死なないんですね……」 栞は呆れたような、だが少しだけ安堵の混じったようなため息を吐いた。 「殺されたのは久し振りだ……フッフッフッ、ホントにここは楽しませてくれるな」 聖は前方を見つめる。 前方から、五人の霧島聖がこちらに向かってきていた。 「えぅ!?」 本物の聖は一瞬で、偽者の一体の側に移動すると、左手に出現させた四本のメスを相手の首筋に斬りつける。 「ほう……」 メスは偽者の首筋を切り裂くことができずに止まっていた。 「……そういう……ことかっ!」 聖が再度右手に力を込める。 次の瞬間、偽者の首が宙に舞っていた。 「本当に楽しませてくれるっ!」 首を失った偽者の胴体が『S』の字に切り裂かれる。 「確か、私の資料もあると言っていたな……なるほど、こういうことか……」 残り四体の偽者が一斉に聖に襲いかかった。 「霧島先生!?」 聖はクルリと栞の方に踵を返す。 直後、四体の偽者が細切れになって、宙を舞っていた。 「呼んだか、栞君?」 「……いえ、なんでもないです……」 栞はため息を吐く。 ちょっとだけとはいえ心配しただけ損をした気分だった。 「栞君」 「解っていますよ」 背後から複数の足音が近づいてくる。 栞は振り向くと同時に、『ポケット』から拳銃を取り出し、迷わず引き金を引いた。 「えぅ……なんか凄く嫌な気分ですよ、自分を撃つのは……」 背後に居たのは五人の栞。 先程聖が倒したのと同じ『偽者』だろう、そのうちの一体の栞の額が僅かにへこんでいた。 「言い忘れたが、そいつらは硬いぞ」 偽者の五体の栞がまったく同時に、まったく同じ動作で『ポケット』から拳銃を引き抜く。 だが、彼女達が引き金を引くよりも速く、栞は移動していた。 「そういうことは早く言ってください」 偽者の一体の腹にガドリング砲の先端が突き付けられる。 栞は迷うことなく、零距離でガドリング砲を発砲した。 「所詮は機械ですか……ドーピングも死滅眼は使えないようですね」 栞の足元には僅かに青い液体の残った薬瓶が転がっている。 偽者の一体はガドリング砲を発砲した。 だが、その時にはすでに栞の姿は消えている。 ガドリング砲を発砲した偽者の胴体から湾刀の刃が突きでていた。 「パワーも上げないと切り裂けませんか……?」 栞は右手に持った湾刀で偽者を突き刺したまま、左手で赤い薬瓶を一気に飲み干す。 「えううっ!」 湾刀が力ずくで切り上げられ、偽者の体が二つに裂かれた。 さらに栞は二本の湾刀を同時に横に振るう。 二体の偽者の上半身と下半身が見事に両断された。 「残り一体……」 栞が最後の偽者に斬りつけるよりも速く、偽者は独りでに細切れになる。 「さらに言い忘れたが、横に真っ二つにしたぐらいでは、すぐに機能停止しないぞ」 栞が真っ二つにした二体の偽者の体も弾けるように細切れになった。 「下半身だけはまだしも、上半身だけでも攻撃してくる恐れがある」 「だから、そういうことは早く言って欲しいです……」 「それはすまなかった」 聖は、最初に栞がガドリング砲で腹部を吹き飛ばした偽者と、湾刀を突き刺した偽者を、細切れにしながら悪びれることもなく応える。 「では、先に進むとしようか、栞君」 聖は白衣をひるがえすように踵を返すと、奥へ向かって歩きだした。 次回予告(美汐&香里) 「というわけで、第15話ですね」 「まあ、いろいろと暗躍している方達のことはあんまり気にしないであげてね」 「それより、あなたと聖さんの方が滅茶苦茶じゃないですか……?」 「別に無敵なわけでも不死身なわけでもないわよ、ちゃんと種があるから……それに、かなり無理してるのよ?」 「無理といえば、栞さんも歩くこともままならない程弱っていながら、薬物投与で接近戦……姉妹揃って無理するのが好きですね」 「まあ、ここまで来ると無傷なのはあゆさんぐらいよね」 「戦ってないんだから、当たり前です……名雪さんも案外ダメージ少ないですよね?」 「じゃあ、今回はこの辺で」 「良ければ次回もまた見てください」 「料理の時間は終わり、最後の戦いが始まる……」 「蛇足的な能力説明」 『ライトニングフィスト』 本来は一瞬で数百発の拳を叩き込む乱打技。 今回は闘気と衝撃波を拳から撃ちだしての間接的(遠距離)な使用のため、直接拳を叩きつける時に比べて威力が劣る。 一言感想板 一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。 |