カノン・グレイド
第12話「静かなる暴走」



『お帰り、名雪』
ああ、そうだった、思い出したよ。
わたしは鍵城の『全て』を投げ出して、香里の所に『帰った』んだった。
そして、新しい生活を始めるために、全てを忘れることにしたんだよ。
『嫌になったなら、捨てればいい、全てを……記憶さえも……』
うん、そうだね、香里。
『完全な満足を得られるまで何度でも繰り返せばいい……あたしがつき合ってあげるから……永遠に……』
うん、ありがとう、香里……。



「……美汐ちゃんも酷いよね……忘れていたかったのに……」
名雪を中心に吹雪きが嵐のように荒れ狂っていた。
「なるほど……確かにこの前とは段違いだな。実に興味深い」
吹雪の中を何事もないように一人の白衣の人物が近づいてくる。
「……ドクター・セイント……」
名雪は凍えるような冷たい眼差しを聖に向けた。
「ふむ、雰囲気も大分変わったな……この雪の嵐そのままのような冷たさと激しさを感じる……」
聖は何の抵抗もないように吹雪の中を歩いている。
雪も風も聖には届いてないかのようだった。
「…………」
名雪の視線が聖の足元で一瞬止まる。
名雪と同じように、聖の足元も雪に『沈んで』いなかった。
「なるほど……ね……」
名雪は気怠げに右手を振り上げる。
次の瞬間、冷たい風が刃のように聖の体を真っ二つに切り裂いた。




通路を駆けていた香里は、突然足を止めた。
「…………」
香里は唐突に床を殴りつける。
振動が、床に壁に走った。
「……私に構っている余裕は無いと思いますが……」
香里の背後の床の中から美汐が姿を現す。
「まあね……だいたい何が起きているのかは察しがついているのよ……だから、急いではいるのだけど……一応あなたの口から確認をしようと思って……」
香里は美汐に背を向けたまま言った。
「恐らくあなたの推測通りだと思いますよ」
美汐は香里の背中に向けて答える。
「……そう」
「そして、あなたはこれから私がどこに何をしに行くのかも推測……いえ、確信しているはず……」
「……ええ、真琴の所へ、真琴を殺しに行くんでしょ」
「はい、その通りです。そして、あなたはそれが解っていながら……私を放置して、彼女の元へ急ぐ……のですね」
確信していることを念のため尋ねるといった感じで美汐は言った。
「ええ、そうよ」
香里は一瞬の迷いもなく即答する。
「……なぜ、あなたはそこまで明確なのですか? 人間とは迷う生き物のはず……それなのにあなたは……」
なぜ、自分を慕ってくれる者も、たった一人の肉親である妹も、あっさりと切り捨てることができるのだ?
一瞬の、一欠片の、迷いもなく……。
「優先基準は明確にしておくに限るのよ。迷えば両方失う可能性が高くなるだけなのだから……覚えておくといいわ」
香里はそれだけ言うと、美汐の存在を無視して、通路を走りだした。
「……香里さん、普通人間は……あなたのようにそこまで……冷酷に冷徹に全てを割り切れるものでは……ありません……」
美汐の呟きは香里には恐らく届かなかっただろう。
美汐はしばらく、香里が消えていった通路を見つめていたが、再び床の中に姿を消していった。



二つに裂かれた聖の体が雪の床につくと同時に消滅する。
純白の雪面に一滴の赤い染みが落ちていた。
「……この前の病院で倒したあなたも……コレだったんだね……」
「そうだ、ブラッドコピー(血複製)……私の一滴の血液から作った分身だ」
いつのまにか、名雪の背後に立っていた聖が答える。
「それにしてもよく気づいたものだな。本物の私と何一つ差異はないはずだが……」
「雪に足が沈んでなかったよ……足跡も一つもなかったしね……今のあなたと違って」
名雪の指摘通り、今の聖の足元は雪に沈んでいた。
「それは迂闊だったな……だが」
聖の体が僅かに浮かび上がると、雪の上に着地する。
「本物の私も、その気になれば雪面を沈まずに歩くことぐらいはできるのだよ、君と同じようにな」
聖は言うと同時に、雪面を沈まずに移動して見せた。
「そう……でも、今の私は、目潰しや足封じに『雪』を使うつもりはないけどね」
「では、そろそろいいかな? 『今』の君の実力を計らせてもらって?」
聖の両手にそれぞれ四本のメスが出現する。
「……いつでもどうぞ……」
「では、遠慮なくいかせてもらうぞ!」
聖は名雪に襲いかかった。



「んっ……そう言えばどこまで『戻した』のか聞き忘れたわね……」
美汐は香里の推測通りと答えた。
ホントに全て自分の推測通りなら、最悪の状態まではいってないはずだが、そんな保証はどこにもない。
「はっはははははははははっ! 待っていたぞ、美坂っ!」
香里の思索を邪魔するように、耳障りな男の声が響いてきた。
「……その声は…………はあっ」
声だけで人物を察した香里は、頭をおさせるとため息を吐く。
「会いたかったぜ、美坂……お前に触覚を引き千切られた恨み……一日たりとも忘れたことはなかったぜ!」
「……あなたが身の程知らずに、あたしに言い寄って来たからでしょ……自業自得よ」
「だからって、普通、他人の触覚……くせ毛を引き抜くかよ!?」
「……というか、自分で触覚て認めてるのもどうかと思うわよ……」
「うるさいっ! 俺のニュー触覚の力見せてやるぜ! だから、その前に……」
「…………」
「ここから抜いてくれないか?」
北川は香里の足元の床から頭だけ生やしていた。
「………………」
「頼む、自分じゃ抜け出せないんだ! 出してくれたら、ぶっ殺して……」
香里は右足を振り上げる。
「そのまま一生埋まってなさいっ!」
香里は容赦なく、北川を踏み潰した。



「…………」
冷たく鋭い風……冷気の刃が名雪の体を取り巻いている。
「なるほど……攻防一体の冷気の刃か」
冷気の刃達が聖に斬りかかった。
「ふん」
聖は自らに襲いかかる冷気の刃をメスで切り払う。
「防ぐことはそれ程難しくはないが、問題は……」
聖は襲いかかる全ての刃を切り払い終えると、四本のメスを名雪に投げつけた。
しかし、メスは全て名雪に届くことなく、名雪を取り巻く冷気の刃に粉砕されてしまう。
「……普通は防ぐことだって簡単じゃないんだけどね……流石、ドクター・セイントだよ」
名雪は右手を突き出すと、再び複数の冷気の刃が聖に襲いかかった。
「確かに風も本来不可視なものだが、君のは冷気を含んでいる分だけ、荒々しい分だけ、見切るのは容易い!」
聖は冷気の刃をかわしながら、名雪に近づいていく。
一っ飛びで届く間合いにまで近づくと、聖はメスを直接名雪に斬りつけた。
「……ふん、やはりこうなるか」
メスは投げつけた時と同じように、名雪を取り巻く冷気の刃に粉砕される。
「……さて、じゃあ、今からはちゃんと攻撃させてもらうよ……」
名雪は右拳を突き出した。
拳から無数の氷の飛礫が撃ちだされる。
「流石にこれは打ち落としきれんな……ブラッドミスト(血霧)!」
聖の左掌から吹き出した血の霧が全ての氷の飛礫を呑み込んだ。
「……まったく……半端に強い人はこれだから……嫌だよ……」
名雪は気怠げに呟く。
次の瞬間、名雪の姿が聖の視界から消えた。
「……氷雨!」
氷の粒が雨のように聖に降り注ぐ。
名雪は聖の上空に居た。
「ふん……」
聖は血の霧の密度を増し、自らの姿を覆い隠す。
氷の雨は充満する血の煙の中に吸い込まれていった。
「君の冷気と同じで、私のブラッドミストも攻防一体なのだよ」
血の霧の中から聖の声が聞こえてくる。
血の霧が名雪の上空にまで広がっていった。
「つっ……」
霧に呑まれるのを拙いと判断した名雪は自らを包む冷気の風の激しさを増す。
「ぅ……っ……鬱陶しいんだよおおおっ!」
冷気の嵐が一気に爆発した。
血の霧を吹き飛ばし、壁を床を破壊していく。
「ようやく全開になってくれたようだな。せっかく『キレて』くれているのにチマチマとした攻撃での戦闘など面白くもない」
血の霧を吹き消され、常人なら立っていることさえ不可能な雪の嵐の中、聖は楽しげに口元を歪ませた。
聖はメスで自らの左手首を勢いよく切り裂く。
血が異常な勢いで噴き出した。
「……ブラッドスラッシュ(血流斬刃)!」
吹き出す血が全て刃と化し、冷気の嵐と化している名雪に襲いかかる。
だが、殺到する無数の血の刃も冷気の嵐の前には無力だった。
名雪に届く前に、全て打ち消されてしまう。
「素晴らしい」
聖は冷気の嵐の激しさに、心底感心したように呟いた。
「これなら……私も……」
聖の手首から吹き出し続ける血が、空間の一点で圧縮されていき、一つの形をなしていく。
「……ブラッドブレード(血刀)」
どこまでも赤く、暗い輝きを放つ、禍々しい刀が聖の左手に握られた。
「だおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
名雪の冷気の嵐は際限なく激しさを増していく。
鍵城自体を、全てを破壊するかのように。
「私の全ての力で切り伏せてあげよう、君の全てを!」
聖は、冷気の嵐の中心である名雪に斬りかかった。































次回予告(美汐&香里)
「というわけで、第12話ですね。結構間が空きましたか?」
「それ程でもないかもしれないけど、今までがペース早かったからね」
「毎日のように書いていた時と違って、ちょっとでも間が空くと、調子を取り戻すのに時間がかかるものですね」
「作風や展開の予定が滅茶苦茶変わってたり、変わっちゃったりするのよね」
「まあ、こういう連載的な書き方は生き物ですからね、予定通りにはいきません」
「……まあ、そんなわけで今回はこんな感じの話だったけど……あんな戦い方してたら、聖さん出血多量で死ぬんじゃない?」
「体の三分の一の血が無くなったぐらいで死ぬほど普通じゃないと思いますよ、あの人は……」
「それもそうね。ああ、北川君の扱いについては……所詮、あんなものなのよ」
「酷い扱いですね……」
「て、あなたのせいでしょうが……」
「そんな昔のことは忘れました」
「まあいいわ、じゃあ、今回はこの辺で」
「良ければ次回もまた見てください」
「狐と狸の化かし合いが始まる……」
「ああ、その方式(次回の内容を一言で語る)に決定したんですね……て、その一言で済ますのはあんまりです! そんな酷なこ……」
「まあ、実際に書く前に言ってるから、あくまで予定は未定よ」










「蛇足的な能力説明」

『ブラッドコピー』
一滴の血液から生み出された聖の分身。


『ブラッドミスト(血霧)』
自らの姿を覆い隠し守ったり、あらゆるモノを呑み込み消化する攻防一体の血の霧。
聖以外のあらゆる物は霧に呑み込まれると同時に消化されてしまう。


『ブラッドスラッシュ(血流斬刃)』
吹き出す血の流れをそのまま刃と化し、相手に叩きつける乱雑な技。
一滴以下の血で作られているメスとは比べ物にならない威力を持つ。
血の刃によるスラッシュ(切り裂き)にしてラッシュ(連打、乱打)である。


『ブラッドブレード』
大量の血液を圧縮して生み出す最狂にして最強の血の刀。
使われる血の量がそのまま刀の威力と比例する。






一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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