カノン・グレイド
第11話「データエディティング」




「……に……逃げ足の速い人です……えぅ……」
栞は床にうつ伏せに倒れ込んだ。
「栞!」
香里は栞を仰向けにすると、自分の膝の上に頭を寝かせる。
「……まったく、何回、死滅眼を使ったのよ……」
「…ぇ……ぅ……だって、あの人……避けるんですよ……何発撃ったか……なんて覚えてない……です……ょ……えぅ!」
「……もういいから、大人しくしてない……それとも、あたしの生気でも吸う?」
「……ぇぅぇぅ……お姉ちゃんの情けを……受けるぐらいなら……死んだ方が……マシですよ……」
「意地っ張り……」
「えぅぇぅ……」
その時だった。
「…………名雪!?」
香里の背中に寒気が走ったのは……。



時間は少し遡る。
栞が美凪と対峙していた頃、名雪もまた美汐と対峙していた。
「……さて、お久しぶりと言うべきですかね、雪の姫君(スノーハイネス)」
「雪の姫君?」
「あなたのことですよ。あなたがここに居た時の数ある異名の一つ……」
「……わたしがここに居た?」
「やはり、何も覚えていないのですね」
美汐は苦笑を浮かべると、微かにため息を吐く。
「教えて! わたしは本当にここに居たの!? ここで何を……」
「…………いいでしょう、話して差し上げます」
「本当? ありが……」
「あなたの体に痛みと傷を刻みつける、ついでにです」
名雪の足下から鋭利な石柱が吹き出した。



名雪は石柱の鋭利な先端以外の部分を蹴り飛ばし、後方に跳んで逃れた。
「な、なんで、こんな……」
「まず始めに自己紹介をしておきましょう。私の名は天野美汐、天野一族……妖狐を操る一族の末裔です。巫女であり、陰陽師であり、退魔師であり、そして邪術師でもある者……まあ、好きにお呼びください。趣味は呪術の修練……人を呪い殺すことと……後は『食事』ですかね?」
美汐は壁に右手を添える。
次の瞬間、名雪の横の壁から鋭利な石柱が吐き出された。
「だおっ!?」
「土や石などの自然物がある所は全ての私の『領域』です、注意してくださいね」
美汐がそう言っている側から、次々に壁から鋭利な石柱が吐き出されていく。
名雪は辛うじてそれをかわし続けた。
「雪姫、雪の女王、雪帝……様々な異名で畏怖されながら、あなたはこの鍵城の下層階の支配者になりました。あなたと四人の少女で構成されたチーム『KANON』はこの鍵城の下層階で最強でしたから、当然といえば当然ですね」
「わたしが?」
「ええ、そうです。ちなみに、今あなたが『飼われている』真琴も四人の内の一人です」
「真琴ちゃんが!?」
「あなたを慕ってか、それとも、自分達を捨てたあなたを恨んでか……真琴はまたあなたの側にやってきた……まあ、こんな所で私なんかと居るよりはその方が幸せかもしれませんね」
美汐はポケットからいくつかの小石を取り出すと、名雪に投げつける。
小石は名雪の直前で巨大な岩石に変化した。
「だおおっ!?」
名雪は咄嗟に冷気を込めた拳で岩石を破壊し、難を逃れる。
「あなたが居なくなり、そして舞さんも居なくなった頃、私は真琴に生まれ故郷である『ものみ丘』に帰るように勧めました。ここでしか生きられない私と違って、真琴は仲間である妖狐や狐の居るあの丘で暮らした方が幸せになれると判断したからです……ですが、あの丘も……真琴の仲間達も今はもう存在しない……私が天野一族の最後の一人であるように、真琴も最後の妖狐になってしまった……」
「……真琴ちゃんにそんなことが……」
「私はあの丘を滅ぼした者を許さない……必ず見つけだし殺して……と、話が少しずれていましたか?」
美汐は自嘲するような笑みを浮かべると、名雪の上下左右の壁から同時に鋭利な石柱を吐き出させた。
名雪は間一髪で後方に下がることで回避する。
「ふむ、通路で戦闘を仕掛けたのは失敗だったかもしれませんね、前後に逃げ場を残してしまう……では、これならどうですか?」
美汐はもう一度、上下左右から鋭利な石柱を吐き出させた。
先程と同じように名雪が背後に逃れようとした瞬間、背後の地面が石の壁を吹き出す。
「だお!?……くっ!」
名雪は考えるよりも早く、前方に跳躍していた。
美汐の待ち構える前方へ……。
「そして、あなたは仲間も何もかも投げ出して、ここから……鍵城から逃げ出しました」
美汐の右手の周りに赤い無数の文字が浮かび上がる。
「それゆえに、あなたを恨む者、あなたに未練を持つ者が存在するわけです。もっとも、私は良くも悪くもなんとも思っていませんからお気になさらずに……」
美汐の右手が名雪の左胸に突き刺さった。



「データ書き換え完了……と」
美汐は無造作に右手を引き抜いた。
名雪の左胸には穴もあいていなければ、血の一滴も流れ出していない。
「修行で得た呪術とは違う私の生まれながらの特殊能力の一つ『データエディティング』……私は人間の記憶、感情、そして存在そのものをデータに置き換え、そして自由に書き換えることができます」
「……だ……うぅ……うう……」
名雪は左胸を両手で押さえてうずくまっていた。
「殺し合うにしろ、話し合うにしろ、『以前』のあなたに戻っていただけないと話になりませんからね。では、私はこれで失礼します。また後でお会いしましょう」
美汐はくるりと優雅な動きで踵を返す。
美汐が歩き出すと同時に、名雪が絶叫を上げた。



「……名雪!?」
力の波動からかなり遠くに居るのが解るのに、まるで隣に居るかのように強烈な名雪の冷気を香里は感じていた。
「……えぅ」
「栞?」
「まったくなんですか……この馬鹿みたいな冷気は……お姉ちゃんと違って『絆』の浅い私でも……嫌でも感じますよ……」
「……そうね、気配や力の波動を関知できなくても……現実の気温も明らかに落ちているみたいだしね……」
セイント病院の時とは違う。
名雪の居る場所だけではなく、鍵城全体の温度が急激に低下しているようだった。
「弱った体にこの冷気は……辛いですよ……で、行くんですか、お姉ちゃん、あの女の所へ……瀕死の妹を置き去りにして?」
「栞……」
「冗談ですよ……お姉ちゃんが私よりあの女を優先するのは解りきってますから……」
栞は力の無い笑みを浮かべる。
自嘲、自虐、苦笑の混ざった複雑な笑みだった。
「姉様〜っ!」
その時、香里の空けた壁の穴から真琴が駈けてくる。
「……栞、確かに私は何よりも、誰よりも名雪を優先するわ。でも、あなたはあたしにとって大切な妹……それは忘れないでね……」
「…………」
「あぅ〜、姉様」
「真琴、悪いけど、栞を……この子をお願いね」
「えっ? 姉様」
香里は栞の頭をゆっくりと床に下ろすと、それ以上真琴に何の説明もせずに穴に向かって駈けていった。
「……一番じゃない大切なんて……何の価値もないんですよ……お姉ちゃん……」
栞の呟きは香里の耳には届かない。
「あぅ〜、なんか最近姉様構ってくれない……」
「……あなたも懐く相手を……間違えましたね……あの女はどこまでも冷たい女ですよ……」
「あぅ〜、そんなことないわよ! 姉様、時々怖いけど、優しいもの……」
「別に優しいのも否定しませんよ……それより、ちゃんと怖い女……だとは解っているんですね……えぅ……あのすいませんが、何か枕になる物ありませんか? 育ちが良いので……地べたじゃ寝られないんです……よ……」
「あう? 枕? 枕〜……」
真琴は律儀に、栞の言うとおり、枕になりそうな物を探してあげるが、当然、そんな物がここにあるわけがなかった。
仕方なく、真琴は栞を膝枕する。
「……お手数おかけします……」
そう言うと、栞は瞳を閉じた。



「よう、天野。首尾良くいったようだな」
ゆっくりと歩いてきた美汐に、北川が声をかけた。
「後はあなた次第です。あなたのお望みの美坂香里さんがここにやってきますから、しっかり足止めしてくださいね」
「足止め? 何言ってるんだ、オレはあの女をぶっ殺すためにここに居るんだよ!」
そう叫ぶ北川を、美汐は冷ややかな目で見つめる。
「まあ、殺そうが、犯そうがあなたの勝手ですが……一撃でやられたりしないでくださいね。役立たずと呼ばれたくなければ……」
「なんだと、てめ……」
「なんですか、北川さん? まさか、この私をあなたごときが『てめえ』呼ばわりするつもりではありませんよね?」
美汐の目の冷たさが増した。
軽蔑の眼差しから殺意の眼差しへと変わっていく。
「予定が狂いますが、あなたを殺して、私が香里さんの相……」
「わかったわかった、オレが悪かったよ、天野……いいからさっさと行ってくれ、お前は向こうに用があるんだろう?」
「そうでしたね、あなたなんかの相手をしている暇はありませんでした」
そう言うと、美汐の姿が床の中に沈んでいった。
それから数分後、北川が安堵したようにため息を吐く。
「……やっと、行ったか? あのたぬき女……げえっ!?」
足元の床から生えてきた女の手が北川の足を掴んでいた。
手の横の床から美汐の顔が生えてくる。
「陰口は私の『耳』の届かない所で言ってください。もっとも、私は聞こうと思えば、鍵城下層階全域の音を全て聞き取れますけどね」
「待て、天野落ち着け! さっきのは……そう愛称だ! か、可愛いだろ、たぬ、たぬきって!」
「沈みなさい!」
天野は北川を床の中に引きずり込んだ。

































次回予告(美汐&香里)
「というわけで、第11話ですね」
「美汐さん中心みたいな話になってしまったわね。今回の話から名雪の全開バトルの予定だったのに……」
「まあ、最初は私が覚醒した名雪さんに一蹴されて……なんて予定だったのですが、すでに予定外に香里さんに一度敗れてますので……」
「流石に、今回もやられ役というか二連敗になったらあんまりだものね……間違いなくもう一試合あるから、下手すれば三連敗……」
「というわけで、今回は活躍させていただきました。そうしないと『美汐ってかなり弱くないですか?』とか突っ込まれる可能性がありましたので……」
「まあ、あたしが強すぎるだけで、あなたは別に弱くないわよ……」
「…………」
「というわけで次回は、名雪vsあの人!……または、美汐さん三回戦開始のどちらね……多分……」
「まあいいです……では、今回はこの辺で……」
「良ければ次回もまた見てね」
「じゃあ、香里さん、またです」
「荒れ狂う吹雪が血の殺戮者を招く!」
「……あ、ラストセリフを取りましたね……」
「今回(次回を示す)のみのラストセリフよ。アニメ三国志風って奴ね」
「……マイナーすぎです、例えが……」













「蛇足的な能力説明」

『土の呪術(呪法、邪術、邪法)』
地面が石やコンクリートなら鋭利な石柱を、土なら土で作った鋭利な杭を吹き出される。
小石をを岩石に変えるなど……土と土に属する物(石、岩などの自然物)を自由自在に操ったり、作り替えたりできる。
壁や床をすり抜けたり、同化したり、地面を潜ったりなどの移動も可能。


『データエディティング』
人間をデータに置き換えて、そのデータ(記憶、感情、存在そのもの)を自由自在に書き換えることができる。
簡単に言えば、人間というデータをハッキングやクラッキングする能力。



一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。




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