カノン・グレイド
第7話「天空都市から降りてきた女




カノンシティ(華音都市)内街とは、鍵城周辺の無法地帯のことであり、一般人は決して外街と内街の境界線を越えはしない。
この境界線を越えるのは自らが一般人でなくなった時だけだ。


名雪達が一歩境界線を越えた瞬間から、無数の男達が問答無用で襲いかかってくる。
「フッ……」
「あ、聖さん……」
名雪が止めるよりも早く、聖は名雪達の集団から男達の群に飛び込んだ。
そして、次の瞬間、男達が全て肉片となって宙を舞う。
その光景に、少し離れた所に居た別の男達の集団が悲鳴を上げた。
獲物を襲うのを先を越されたと思っていたが、先を越されて良かった? もし、先を越されなかったら自分達がああなって……。
そんなことを考えていた男達の思考はそこで止まる。
「フフフッ……」
肉片になってしまっては思考することもできないからだ。
聖は目に付いた人間を片っ端から肉片に変えていく。
「何も片っ端から殺さなくても……」
名雪が辛そうな表情で呟いた。
最初の集団を皆殺しにしただけで、自分達を恐れて他の集団は近づいてこなかったかもしれないのに。
「殺られる前に殺れ……残念ながら、ここではアレで楽しいのよ」
「見敵必殺(サーチ・アンド・デストロイ)……明らかな味方……つまり、裏切れても構わない程信頼している相手以外は、目に付いた瞬間殺すべきです」
美坂姉妹が冷酷な発言をした。
いがみ合っている姉妹の意見がこんな時だけ合うというのも哀しいことである。
「と言っても、霧島先生の場合、自己防衛のためではなく、趣味で嬉々として切り裂いてるんですけどね……まあ、私としては無駄弾を使わないで済んで助かりますね」
「弾丸一発分の価値もない屑ばかりってことね……普段、無茶苦茶に撃ちまくってるくせに……」
「弾丸は無料じゃないんですよ。無限にしまえるからって、無限に弾丸を持っているわけじゃないんです」
名雪は美坂姉妹の会話についていけなかった。
二人とも人の命を、命を奪うことをなんとも思っていないようである。
そして、それがここでは当たり前の価値観なのだ。
どんな相手でもできれば命は奪いたくない……そんな甘い考えを持っているのは自分だけに違いない。
「あなたはそれでいいのよ、名雪」
名雪の考えていることを見透かしたように、香里が呟いた。
「香里……」
「その甘さは、あたしや栞が持ちたくても持てない貴重な感情よ」
「……代償が命になるかもしれない優しさ……慈悲など高位の存在が下等な存在を哀れむ傲慢な……」
「あなたは黙っていなさい、栞」
香里は栞を睨みつけて黙らせる。
「えぅ……まあ、好きにすればいいですよ」
栞は吐き捨てるようにそう言うと、聖の後を追っていった。



「えぅ〜、ここが鍵城内部ですか」
「あぅ〜……」
鍵城に一歩足を踏む込むと同時に、真琴は怯えるよう素振りを見せる。
「どうしたの、真琴?」
「姉様……ここ怖いの……それに、知っているような気がして……あぅ〜」
「真琴……」
『当然の反応ですね、真琴。あなたはここを知っているのですから』
名雪達の誰でもない『声』が答えた。
「上だ……」
聖の呟きと同時に、全員が上空から自分達を見下ろしている赤毛の少女と銀髪の美女を目撃する。
次の瞬間、無数の岩石が虚空から降り注いだ。



聖は石の壁をメスで切り裂いた。
「ふむ……ただの石の壁だな……」
破壊した壁の向こうの通路に足を踏み入れながら、聖は呟く。
落石をかわすために、全員が散らばった瞬間、地中から吹き出したいくつもの『壁』が全員を分断した。
落石は攻撃ではなく、最初から全員を『分断』させることが目的だったのだろう。
「回りくどいことをするものだな……銀髪のお嬢さん」
聖は天井に向かって話しかけるように呟いた。
天井には銀髪の美女、遠野美凪が天地を逆にしたように立っている。
「こんな最下層で君のような『存在』に会うとは思わなかったぞ」
「…あなたは私の名前も知らないのに、私が何者なのかは解るのですね……」
「自分がなぜ解るのか解らないが……解るのだよ、君が『上』の住人だということがね」
聖は両手にそれぞれ四本のメスを出現させた。
「…なぜ解るのか教えて差し上げましょうか? あなたが知らないあなたのことを……」
「遠慮しておこう。私は自分が何者なのかなどに興味は無い」
「…不安にならないのですか? 自分が何者なのか? どこで生まれたのか? 家族はいるのか? あなたは自らのことを何も知らない……」
「過去などどうでもいことだ。私が興味あるのは……」
「……興味あるのは?」
「君の実力と、私自身の未知数の可能性……つまり、君との戦いが楽しめるか否か……それだけだっ!」
聖は美凪に襲いかかった。



「土の呪術か……地味な分だけ質が悪いのよね……」
赤毛の少女には見覚えがあった。
天野美汐。
ものみ丘と深い関わりを持つ天野一族の出の少女。
巫女、陰陽師、呪禁師、邪術師、どれもが正解であり、どれも正確に彼女を評していない。
本来、天野一族とは、もっとも血と呪いの……。
「地味で悪かったですね」
いつのまにか香里の目の前に天野美汐が立っていた。
「私は火、水、木、金、土の術の中から好んで土の呪術を学びました……なぜだか、解りますか?」
「さあね、、地味なあなたのイメージにピッタリ合ったから?」
香里はからかうように言う。
「もっとも効率よく、もっとも確実に、もっとも最小限の力で人を殺せる術だったからですよ!」
美汐が言い終わるよりも早く、香里の足下から無数の石柱が吹き出した。



「…お米剣」
美凪は人差し指と中指に挟んだ一枚の紙切れで、聖の四本のメスをあっさりと受け止めていた。
「ほう……」
聖は瞬時に、逆の手の四本のメスで斬りつける。
だが、それもやはり紙切れで受け止められてしまった。
美凪は聖の八本のメスをたった一枚の紙切れで完璧にさばききっている。
しかも、天井に逆さに立ったままでだ。
「フフフッ……これはまた楽しませてもらえそうだな」
聖は一度床に着地すると、メスを全て美凪に投げつける。
美凪は紙切れを持っていなかった左手の方で八本全てのメスを掴み取った。
「…なるほど」
美凪はメスを握り潰す。
美凪の左手から赤い塵が舞い散った。
「…では、次はこちらから参ります」
美凪は左手の人差し指と中指を自らの唇に持っていく。
「…シャボンイリュージョンアクア」
美凪の二本の指の間から無数のシャボン玉が吹き出された。
「ほう……」
無数のシャボン玉が聖の周りを取り囲む。
「確かに幻想的な美しさだが……こんな脆弱な物が君の本気だとか言わないだろうなっ!」
聖のメスが一閃した。
複数のシャボン玉が切り裂かれ、破裂する。
「ぐっ……」
破裂したシャボン玉の液体がかかると同時に、聖が微かに呻き声を上げた。
聖の服や肌が硫酸でもかけられたかのように、解けて煙りを上げている。
「…シャボンイリュージョンアクアは全てを溶かす制裁の水……安易に切り裂かない方がいいですよ」
「……なるほど……身動きは封じられたというわけか……」
シャボン玉を破壊したり、下手に動けば、容赦なく制裁の水を浴びることになるのだ。
「では、私も少し本気を出すとするか……くっ!」
聖はメスで自らの左手首を切り裂く。
「…何を?」
聖の手首から流れ出した血が、霧状になって辺りに散布されていった。
「…どういう血液をしているのですか?」
「面白いのはこれからだ」
赤い霧がシャボン玉を一つ一つ包み込み、赤い球体に生まれ変わっていく。
「ブラッドボール……これで、君のシャボン玉は全て私の支配下におかれた……こんな風になっ!」
聖が左手を突き出すと同時に、赤い球体達が全て美凪に襲いかかった。
美凪はお米剣で赤い球体達を切り裂く。
「今回のブラッドボールは君のシャボン玉をコーティングして作ったものだ。破壊すれば当然……」
全てを溶かす制裁の水が美凪の体に降りかかった。



「……美坂香里さん、彼女の能力だけはボクにも良く解らないんだよ」
名雪達全員の動きを『眺めて』いたあゆが呟いた。
「あははーっ♪ 何かも見透かしたような偉そうな態度をとっているあなたがですか?」
喧嘩を売っているようにしか思えない物言いで背後に立っていた少女が尋ねる。
「ボクが手に入れたシナリオや設定資料にも、彼女の能力や正体だけは載っていない……名雪さんの本当の正体と同じようにね……」
「ふぇ〜?」
「ボクが『上』から略奪できたデータには、あくまで外街での履歴程度のことしか載っていない……でも、一つだけ解っていることがある」
「なんですか?」
「ここ数百年、美坂香里、水瀬名雪なんて人間は外街でも内街でも生まれていないってことだよ」



「…………」
天野美汐には何が起きたのか正確に理解できなかった。
今、美坂香里は何をした?
美汐が呼び出した石柱達を踏み潰した?
解っているのは石柱が全て一瞬で粉砕されたという事実だけである。
「難しく考えることはないわ……」
香里は気怠げな表情で呟いた。
「あなたが見た通りの現象よ」
「見た通りだと言うのですか……」
「ええ、あたしは空間を歪めたり、体から雪を出したりなんて特殊なことはしないわ……」
香里はゆっくりと美汐に近づいてくる。
「くっ……」
何か危険だ。
美汐は本能で危険を感知すると、防御と香里の進行を妨げるために、足下から石の壁を吹き出させる。
「はああっ!」
香里は目の前に出現した壁を構わずに殴りつけた。
「なっ!?」
壁は一瞬にして破壊され、さらに拳の風圧が美汐を吹き飛ばす。
「有象無象の区別なく、目の前に立ちはだかる全てのものを粉砕する……ただそれだけよ」
「くっ……」
「じゃあね、あたしの仕事はあくまである物を取り返すこと……あなたの相手をしている暇はないのよ」
香里は仰向けに倒れている美汐を無視して、横の壁を破壊すると、その向こう側に消えていった。



「……服だけか」
制裁の水を浴び、もはや服とは呼べない布きれと化した美凪の制服が宙に舞っている。
「…よく頑張ったで賞……ぱちぱちぱちっ」
背後からの声に振り向くと、私服姿の美凪が立っていた。
「自分の技でやられるほどまぬけではないということか……」
「…なかなか楽しめました……ですが、今回はこの辺で失礼します」
「待て!」
聖はメスを投げつける。
「…では、ごきげんよう」
美凪の姿はメスが当たる直前に無数のシャボン玉と化して消え去った。



美汐は香里の消えていった穴を見つめていた。
「…追わないのですか?」
振り返るまでもなく声の主が誰かは解る。
「私の役目はあくまで彼らを分断させることだけです。それに私が戦いたいのはあんな化け物ではりません」
「…化け物ですか……?」
美汐は背後を振り返った。
「あなたと彼女……どちらがより化け物なのか……」
「…………」
「化け物の相手はあなたやあゆさんのような化け物にお任せしますよ……いえ、その前に北川さんが戦いたがっていましたね……何にしろ、私はもう彼女とは戦いたくありません」
より正確に言うなら関わり合いになりたくもない。
美坂香里という女は何かがおかしい。
強い弱い以前に、何か得体の知れないものを感じるのだ。
美汐のそういった本能的な直感は外れたことがない。
「…では、戻りましょう。次の用意もありますから……」
「……そうですね」
美汐と美凪の姿は通路の奥へと消えていった。










































次回予告(美汐&香里)
「というわけで、第7話ですね。奪還屋さんでもっともやりたかったというか、一番最初のアイディアのきっかけのシーンができましたね」
「上層階から降りてきた女遠野美凪!……一番最初に思いついたのはそれくらいだったものね……でも、Kanonで奪還屋さんなんてやってもねえ……てわけで、カノサバの続編として考えていたONE編と、月姫出したいな……てのを混ぜてオリジナル戦闘物を目指したのがこの作品なのよ」
「まあ、オリジナルを名乗るためには、鍵城編を早く終わらせないといけませんね」
「それはそうと、相変わらず予定は未定なもので……名雪と戦うはずだった美汐さんがあたしと戦っちゃったり……」
「まあ、その方が奪還屋さんから遠のいていいんじゃないですか?」
「それもそうかもね」
「では、今回はこの辺で……」
「良ければ次回もまた見てね」
「じゃあ、香里さん、またです」
「それで定着させる気……?」






「蛇足的な能力説明」

『シャボンイリュージョン「アクア」』
濃硫酸のような液体で作られたシャボン玉で相手を包囲する技。
シャボンイリュージョンには「アクア」以外にも多数のバリエーションが存在する。












一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。




戻る
カノン・グレイド第7話