デス・オーバチュア
第70話「刻の弥終」




サンダルフォン。
この天使には伝承が多い。
鳥を監督する天使であり、天使書記官メタトロンとは双子の兄弟で、弟にあたる。
カバラ主義では「暗い天使」と呼ばれており、「明るい天使」と呼ばれるメタトロンと対を成す。
堕天使達の幽閉地の支配者であり、天使界の第五天マホンを治める君主。
胎児を司る天使でもあり、メタトロンの別名、メタトロンの女性体など、メタトロンと同一の存在と解釈する伝承もある。

もっとも、どの伝承が真実を表しているのか知る者などいない。
例外は、テオゴニア(神統記)、セファー・ラジエル(天使ラジエルの書)、セフェール・ハ・ゾハール(光輝の書)などの天使ついての『全て』が書かれた書を持つ者だけだろう。

ちなみに、そのうち、セファー・ラジエルは現在クロスが持っていたりするが、彼女はまだ殆ど解読ができておらず、宝の持ち腐れだったりするのは別の話である。



「……馬鹿な、なんだ、あれは……?」
タナトスは空に浮かぶ巨大すぎる白光の鳥から目が離せなかった。
でかい、でかいにも程がある。
距離感すら狂わすような異常な巨躯だ。
その嘴は人間どころか、熊だろうと象だろうと、地上のあらゆる生物を一呑みだろう。
「……驚きましたわ……あんなものに化ける能力があったんですのね、マルクトったら……」
ビナーもまたポカンとした表情で巨鳥を見上げていた。
「驚くところが間違っているな、問題は大きさではない。問題はあれ全てが、天使力……天使の持つ神聖な闘気で形作られていることだ」
リーヴが冷静な表情で指摘する。
突然の巨鳥の出現に、彼女だけはまったく驚いていなかった。
「あれが全て闘気でできている?……馬鹿な、どんな容量だ……」
闘気にも魔力にも体に蓄えておける量には必ず限界がある。
魔族や天使などは人間の数倍から数十倍のエナジー(闘気、魔力などを全てひっくるめたエネルギー)総量を持つ者もいるが、いくら何でもあの量は異常だ。
あれだけの量のエナジーを持つ可能性がある存在は……魔族や悪魔の『王』ぐらいである。
「だから、ここで待って正解だっただろう? あの巨鳥を正面から力押しで倒すのは私でもかなり骨が折れそうだ……まして、お前ごときでは勝算など零だ」
リーヴはタナトスに視線を送りながら、侮辱するわけでもなく、ただの事実といった感じで言った。
「……勝算?」
勝算などあるわけがない。
あれはどちらが強い弱いなんてレベルじゃない、根本的に……存在の段階で次元が違いすぎるのだ。
あれには絶対に勝てないと言われても侮辱されたなどとは思わない。
寧ろ、自分なら難しいが倒せないことはないと言ったリーヴの発言の方が信じられなかった。
「だから、もう少しここで大人しく待て……あの女が、あの神鳥を退治してくれるのをな……」
リーヴは視線をタナトスから、巨鳥の真下に居る和服の人物に移す。
「……リンネ? 馬鹿な、彼女も間違いなく徒者ではないが、いくらなんでも……」
あの巨鳥に勝てるとはとても思えなかった。



「ふふ……ふふふふっ」
リンネは笑いが堪えられないといった感じで体を揺らす。
『何がおかしいのです……?』
白き閃光の巨鳥からマルクトの声が聞こえてきた。
「何がおかしい?…… 楽しいからに決まっているでしょうっ!」
瞬き程の刹那。
リンネの周囲に数え切れない程の大量のリング(輪)が出現していた。
『チャクラム? 円月輪? いえ、それにしては形が……』
リングは全てただの丸、零ではなく、八の字によく似た奇妙な形をしている。
「メビウスリング!」
『∞』の形のリング達は一斉に巨鳥に向かって飛び立った。
リングは全て巨鳥の中に吸い込まれるように消えていく。
そして、何も起こらなかった。
「ふふ……なるほど。やはり、本体はあくまで、神聖気でできた巨鳥の中のあなただけ……そこまで届く前に、どんな物も攻撃も神聖気によって消化されてしまうわけね」
リンネは楽しげな表情で、自分の分析結果を口にする。
今の攻撃も最初から通用しないと解っていながら、自分の推測を確かめるための実験として行ったに違いなかった。
『では、終わりにさせてもらいます。私の相手は貴方だけではないので……』
巨鳥が空から消える。
その直後、嵐のような風の爆発が起こった。
そして、再び空には巨鳥が出現する。
消える前とは微妙に変わった位置に。
『……信じられません……かわしたのですか……?』
嵐のような暴風が治まった地上にはリンネが何事もなかったように立っていた。



「……い、今のはなんだ?」
タナトスは大木に抱きついていた。
瞬間的に発生した暴風に吹き飛ばされないための行動である。
「……今のはただ巨鳥が飛んだだけだ」
リーヴが何事もなかったかのように平然とタナトスの疑問に答えた。
ちなみに、リーヴは暴風発生の際も、何かにしがみつくこともなく、平然と立っていたのである。
「飛んだだけ?……それだけで生じた衝撃波なのか!?」
「そうだ、飛翔した際に生じたただの衝撃波……あの巨体で音速……いや、限りなく光速に近い速度で飛ぶのだ、あの鳥は……」
「そんなことが……」
「有り得ない? そんなことはない。この世の法則無視、それは高次元存在にとってはそれ程難しいことじゃない。現にあの男なら、まったく衝撃を発生させずに真の光速で飛ぶことができる。それに比べれば可愛いものだ」
「あの非常識存在と比べるな……」
そう確かに、あの巨鳥に匹敵する程ふざけた存在が、タナトスの側にはいつも居る……正確には居たのだ。
「だが、私も侮っていた。あの巨鳥は確かに速度だけなら私より上だ。あそこに立っていたのがあの女ではなく、奴を侮った私だったら、間違いなくやられていただろう……私もまだまだ甘いな……」
リーヴは苦笑を浮かべる。
「さて、そろそろ決着がつくな。よく見ておくといい、高次元存在の頂点クラスの戦いというものを」
リーヴが視線を巨鳥と和服美女に戻す、タナトスもそれに習うように視線を戻した。



『この姿の時の私に小細工はありません。光速で飛翔し、突進する……それだけで全てを薙ぎ払う最強の一撃となるのだから……』
天空に浮かぶ巨鳥が翼をはためかせる。
「ふふ……そうね。鳴いて超音波のような衝撃を起こしたり、羽ばたきで嵐を起こしたりなんてのも十分必殺技になるでしょうけど……全力で飛んでの突進、それが一番の破壊力を有するでしょうね。そして、何よりもっとも回避不可能な攻撃……あなたと同じく光速で動けるものでもない限りはね……」
リンネは腕を組んで、地上に立ち尽くしたままだ。
まるでマルクトが攻撃してくるのを待つかのような不敵な表情を浮かべている。
『…………』
マルクトには一抹だけ不安があった。
先程の飛翔がなぜ当たらなかったのか?
偶然? 自分が目測を誤った? それとも『かわされた』のか?
いや、そんなはずはない。
マルクトはその可能性を否定した。
神族だろうと、魔族だろうと、自分よりも速く飛べるものなどこの世に存在するはずがない。
地上は元より、魔界や天使界や悪魔界などの高次元存在の世界を含めても、自分に匹敵する可能性があるのは、魔界最速にして最狂の魔皇『光皇』ぐらいだ。
それ以外には、光速で動けるものなど、どの高次元存在にも聞いたことがない。
『……そう、魔王だろうと悪魔王だろうと、今の私の『迅さ』には付いてこられるはずがありません!』
「ええ、そうね。魔王でも予めあなたの速さが解っていなければ、あなたの突進の初撃はかわせない。まあ、それで魔王を倒せるかどうかはまた別の話になりますけど……さあ、自信を持っていらっしゃい、あなたの最高の一撃を私に……」
リンネは、自分の胸に飛び込んで来いと言わんばかりに両手を広げた。
『……参ります……』
巨鳥が一際激しく白く輝く。
「ふふ……」
リンネは、短剣の柄の先端と、長剣の柄の先端を連結する。
二対の剣は、一振りの両先端に刃を持つ奇怪な『剣』と化した。
「タイムブレイカー(刻の破壊者)は二対で一振りの剣……例えるならそれは時計の短針と長針のようなもの……」
リンネはタイムブレイカーを持った左手を突き出すと、短剣と長剣の接合部の穴に指を通し、タイムブレイカーを回転させる。
咆哮のような鳥の鳴き声、それだけで、大地と木々が震撼した。
「刻の……」
爆発する白の閃光。
「……弥終(いはやて)!」
リンネが言葉を紡ぎ終わるのと、白き閃光と化した巨鳥が飛翔したのはまったくの同時だった。



何が起きたのか、タナトスには理解できなかった。
天空の巨鳥が白い閃光の爆発のごとく輝いたと思うと、視界から消え去り、次の瞬間には先程の数倍の激しさの暴風が発生する。
そして、暴風が治まったかと思うと、地上には刀を折られて地面に仰向けに倒れ込んでいる銀翼の天使と、その横に左手を尽きだしたまま立っている和服美人の姿があった。
「あれ? マルクトいつのまに元に戻ったんですの? しかも、刀まで折られてますわ」
ビナーが不思議そうに言う。
彼女もタナトスと同じく何が起こったのかさっぱり解らないようだった。
タナトスとビナーはなんとなくリーヴに視線を送る。
「なんだ、その目は……私は解説役か?」
リーヴは面倒臭そうな表情で息を吐いた。
「何が起きたのか……解るのか?」
「……多次元同時……いや、多時間同時現象とでも言うべきか……いや、まて同時というよりあれは……むっ……」
リーヴは説明しようとして言葉に詰まったのか、一人で意味不明なことをブツブツと呟いている。
「……いや、解らないのなら、別に無理に説明してくれなくても……」
「なんだとっ!? 私に解らないことなどあるものかっ!」
リーヴはいつもの冷静というか、かったるそうな表情とは別人のような激しく怒った表情でタナトスを怒鳴りつけた。
「うっ? すまない、失礼なことを言った……のか?」
「いいか、良く聞けっ! 今のはお前に解るように簡単に言うとな……時間を止めたのだ、あの女はっ!」
リーヴは怒った顔のまま説明を開始する。
「時間を止めた!?」
「正確には相手と自分の時の流れる速度を変えて『時間差』を生み出した。相手の時間を何億倍も遅く、あるいは自分の時間を何億倍も速くする……そうすることで、光速の巨鳥より『速く』動くことを可能にしたのだ! ここまでは解るか、未熟な死神よ!?」
「……ああ……なんとか……解る……」
つまり、簡単に言うなら時間を止めたということだ。
正確に言うなら、時間の流れる速度のコントロール。
「フッ、あの男ならスロー再生やコマ送りとか言い出すのだろうな」
「むっ……」
『あの男』のことを思い出したのか、リーヴが愉快そうな笑みを浮かべた。
それがなぜかタナトスには面白くない。
「で、そうやって巨鳥より速くなったあの女は……」
そこまで言うとリーヴは黙り込んだ。
「……どうした?」
「いや、どういう言葉で表現すればいいか悩んだだけだ。まあ、要するに神剣を使った必殺技で、神聖気で作られた巨鳥の中のマルクトの刃を破砕したわけだ」
「……説明が急に身も蓋もなく簡単になってないか?」
「だから言ったはずだ! どういう言葉で表現すればいいのか解らない技なのだ、あれはっ!」
リーヴが再び怒鳴りつけるように言う。
「投げつけた神剣が何百、何千にも増えて、全方位から巨鳥を貫いたと素直に見たまま述べればいいものを……正確に理論や法則を説明しようとするか困るのではないか? リーヴ第一皇女よ」
口を挟んだのはタナトスでもビナーでもない、初めて聞く男の声だった。
「……貴様……いつからそこに居た?」
いつのまにか青紫のフード付きの法衣で顔を隠した男がタナトスとリーヴのすぐ後ろに立っている。
「あれは時間を何重にもズラすことで、違う時間の神剣を同時に同じ『瞬間』に出現させただけだ。実際に神剣の数が増えたわけではない。もっとも、出現した数だけの攻撃を相手は同時に喰らうことになるがな」
男はリーヴの質問には答えずに、リンネの技の説明をした。
「それは解っている! 要はその現象をなんという言葉……単語で言えばいいのかが解らないだけだ!」
「ふん、つまらないことに拘る御方だ。余にはその現象の名前より、そんな現象を起こせることの方に興味が沸くが……あれは神剣の力の範疇を超えている。いくら時を司る神剣とはいえ、時間速度を操りながら、同時に多重複数の時間ズラしによる全方位攻撃を行う……そんなことが本来できるはずがない。片方が神剣の能力ではなく、本人の能力で起こした現象でもない限りはな」
「ん? やはり、貴様もそう思うか? あの現象を起こせた可能性として考えられるのは、私にもそれしか思い浮かばない」
「…………」
タナトスは討論を続ける二人から、視線を洞窟の入り口に戻す。
リンネがどうやってマルクトを倒したかも、そもそもなぜマルクトを倒してくれたのかも、タナトスにはどうでも良かった。
倒さなければならない敵が減ってくれて幸運だったとでも思えばいいだけである。
「さて……」
倒さなければならない敵の一人であるビナーを一瞥しようとしたタナトスだったが、ビナーはすでにこの場から消えていた。
「いつのまに……」
洞窟の中に戻って自分を待ち構えているのか? それとも……。
「……まあいい。それならそれで戦うだけだ……」
タナトスは、いまだに討論を続ける二人に一瞬視線を向けた後、洞窟の入り口に向かって駆けだした。



「…………」
リンネは自分の膝の上にマルクトの頭を乗せて寝かせると、自分も瞳を閉じた。
タナトスもリーヴもフードの男も全員、もう洞窟の中に消えている。
「やはり、普段怠けていると駄目ね。あの程度で疲れてしまう……」
時間流の極地制御と刻の弥終の同時使用、それだけでこれ程消耗するとは思わなかった。
「ふふ……考えてみれば刻の弥終の方は使用する必要性がまったくなかったのにね。ついノリで必殺技には必殺技で返す……などということをしてしまったわ」
どんな物も消化する神聖気で作られた巨鳥に対しても、神剣だけは例外である。
神剣はどれだけの神聖気を浴びても溶けることはないのだ。
要は神剣に神聖気の分厚い幕を貫き、本体であるマルクトにまで届くだけの勢いさえ与えられればいい。
「お優しい女神様なのですね、貴方様は」
女の声が聞こえてきた。
この声の主を確認するために瞳を開ける必要はない。
足音も気配も一切させずにここまでやってきた人物の正体、それはリンネには解っていた。
「ふふ……あなたも赴くの、魔法使い?」
「人手が足りませんので……」
困ったものですねと口ではいいながら、声のニュアンスはどこか楽しそうだった。
「自分で傷つけた相手を自分で治療する二度手間というか……それなら、最初から最小限のダメージだけ与えるようにすれば治療に必要な力も最小限で済みますものを……」
「ふふ……ちゃんと手加減はしたわ、即死しないギリギリのダメージに調整するのは苦労したのよ」
「でしょうね。あの技をまともに喰らったら本来、無数の肉片と化しているはず……数え切れない数に刃を増やしておきながら、マルクトに当てた刃の数は指で数えられる程度……なんという力の無駄遣い……」
「ふふ……無駄遣いした分、休みたいのでもう行ってくれないかしら?」
「そうですね、お邪魔しました、時の女神様……ごゆるりとお休みを……」
足音一つたてず、気配だけが洞窟の中へと遠ざかっていく。
「……では、少しだけ休むとしましょう……」
気まぐれな時の女神は浅い眠りへと落ちていった。











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一言感想板
一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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