デス・オーバチュア
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余命幾ばくもない薄幸の少女。 そんな珍しくもない存在があたくしだった。 誰もがあたくしに優しかった。 父も母も上の兄も末の弟も……あたくしが見た目通り、優しく清らかな心を持っていると信じ切っていた。 けれど、唯一人だけ。 あたくしの本当を……真実を知っている人が居る。 彼だけは、あたくしの本質を見抜き、私を嫌悪してくれている。 それがなぜか嬉しかった。 嫌われているというのに、嬉しかったのだ……。 おいで。 来いという命令でも、来てくれという懇願でもない、優しい誘いの言葉。 だから、あたしはその手をとった。 それがどういうことを意味するのか解っていながら、その手を……彼を選んだ。 全てを捨てて……。 あたしが姉と慕うのは唯一人だけ。 他にも大勢姉も妹も居るけど、大好きなのはあの人だけ。 不器用だけど、冷たそうに見えるけど、本当は誰よりも優しく、繊細で傷つきやすい人。 巨大な竜の神々と翼を持つ神の下僕達の戦い。 愚かで、果てしない戦い。 けれど、その中で一人だけ光り輝く人を見つけた。 その人の名は……。 悪より生まれし四つの要素。 空、大地、光、闇。 空と大地は世界を形作り、光と闇の衝突は存在を、生命を生み出す。 やがて、生命に三つの枷が与えられる。 時、運命、死。 そして、生命は二つの感情に支配される、憎しみと諦め、すなわち復讐と静寂に。 かくして、九の要素によって世界は完成した。 だが、完成した瞬間に生まれ出るは……。 誰からも愛される花のように可憐な妹。 あたしは知っているあれでいてあの子はかなり質の悪い性格をしていることを。 誰もが憧れ、同時に恐れる刃物のように美麗な姉。 あたしは知っている、どこまでも鋭く冷たい刃物のような姉が実は誰よりも優しい心を持っていることを。 あたしが愛するのは、愛することができるのはこの二人の家族だけ。 例え幾たび生まれ変わろうと、あたしは彼女達だけを愛するだろう。 この美しく優しい姉と……ついでに、優しくなく生意気で質の悪い妹さえいればいい。 それだけであたしは幸せなのだ。 「強く激しく歪んだ想い……なんという因果の妙……深すぎる業……」 銀色のマントが風に揺れる。 「光の皇よ、彼女の根源は……あなたの根源とも深く関わる……全ては因果の元に……呪いのごとく……」 銀髪の少女の呟きは風に流れるように消えていった。 「さてさて、いろいろとゴチャゴチャと面倒な理屈というか、諸説入り交じっていると申しましょうか……」 元虹色の天使は、ぷかぷかと宙に浮かびながら語る。 「エーテルって何? アストラルって何? それを正確に説明するのはとても面倒臭いの。だから簡単に言うと、アストラル体と書いて星幽体と読む、で、星幽体ってのは人間を構成する体、魂、霊の三重存在うちの魂なわけなのよね」 「…………」 「ちなみにエーテルってのは第五元素だとか第五要素だなんて解釈も流行っているけど、正しくは三重存在のうちの体、つまり肉体を支える純エネルギー、万物(物質)を存在せしめるエネルギー、このエーテルで構成された霊妙な肉体をエーテル体と呼ぶのよ」 「……つまり、何が言いたいんだ?」 大人しく話を聞いていたが、結局何が言いたかったのか、タナトスにはさっぱり理解できなかった。 「つまり、タナトスの今の状態を簡単に説明したかったのよ」 「……幽霊?」 「う〜ん、その表現は微妙なのよね。だいたい幽霊って言葉からして、幽体なのか、霊体なのかどっちなのよってことになるし……霊体ってのも三重存在の霊とはちょっと違うというか魂(星幽体)の方が近いんじゃないかというか……」 「……お前の言うことはいちいち解りにくい……」 「リセットちゃんは真実(真理)を曲げたくないの! だって、今のタナトスの存在って星幽体……魂だけの存在って言っても正確じゃないし、かといってエーテル体……エネルギーだけの塊って言っても正確じゃないし……だからって、どっちも嘘という程間違ってもいないし……」 説明しずらい訳の分からない存在になっているタナトスが悪いと、リセットは責める。 「……解った……幽霊『みたい』な存在で妥協しないか?」 「む〜、曖昧ね。まあ、タナトスがそれでいいって言うなら、リセットちゃんはそれでいいけどね」 リセットは一応納得したようで、意味もなくタナトスに抱きついてきた。 「…………」 何か最近、やけに懐かれてきた気がする。 最初に会った時は「あんた」呼ばわりで、見下すというか小馬鹿にするような態度だった気がするが、今はやけに好意的だ。 いや、好意(親愛)というより……。 「ふふふっ、やっぱりタナトスって抱き心地最高〜」 何か妙な危機感のようなものをタナトスは感じていた。 命に関わる危機感とは違う。 だが、確かに妙な危機感は感じるのだ。 「何か凄く懐かしい……とても落ち着くの……」 リセットは恍惚とした表情を浮かべている。 「……懐かしいか……」 そう言われてみれば、タナトスもそんな気がしてきた。 (……ああ、そうか、子供の頃のクロスか) 子供の頃のクロスは、今のリセットのように、自分にやたらと懐いて、甘えてきた気がする。 そして、それは不快でなかった。 自分のような陰気で愛想のない、何よりも罪深い存在を、姉として慕ってくれる。 それがどれだけ自分の心を救い、癒しててくれたことか。 その感謝というわけではないが、タナトスは最大限クロスの望みや期待に応えられるように心がけてきた。 この可愛い妹に相応しい、良き姉であろうと……。 (……だが、クロスの時には感じなかったこの危機感はなんだ?) もしこの場にルーファスが居たら、心底呆れたようなため息を吐くに間違いなかった。 タナトスの鈍さと的はずれな捉え方に。 『奇妙な風に誘われて来てみれば……』 タナトスとリセットしか居なかったはずの荒野に突然別の声が生まれた。 翠玉(すいぎょく)、エメラルド。 自然の優しい緑とは違う、どこか禍々しくもある輝きを放つ緑。 その人物は翠色(すいしょく)のマントともコートもつかない長布で全身を隠すように包み込んでいた。 髪と瞳もマントと同じ翠色である。 顔立ちは中性的の見本というか、男なのか女なのか判断の難しい容貌だった。 ただどちらの性別だったとしても美形であることだけは間違いなく、妖しい魅力すら感じさせる。 翠色の人物は目を閉ざしたまま、顔をタナトスとリセットの居る方に向けた。 「初めまして、灰色のお嬢さん」 翠色の人物は穏やかな微笑みを浮かべる。 「……灰色? 私のことか?」 そんな風に呼ばれたのは無論初めてだった。 自分は黒髪黒目で黒い法衣着ているのだから、黒だと言うならまだ解るが……。 「確かに黒でも間違いではありませんね」 翠色の人物がクロスの心を読んだかのように言う。 「ですが、黒のもっとも強いイメージは闇……あなたの纏う力のイメージは闇ではなく……死……死を表す色は黒でも間違いではありませんが、より正確には、白でも黒でもない不確かなる色……灰色なのです」 「なるほど……」 タナトスは素直に翠色の人物の言葉に納得した。 確かに自分は死の神剣の使い手、死の力を使う者である。 『ちょっとちょっと、タナトス。そんな変なことに感心している場合じゃないわよ!』 タナトスの頭の中に直接リセットの声が響いてきた。 そういえば、いつのまにかリセットの姿が消えている。 翠色の人物の登場と丁度入れ替わるようにリセットの存在が消えていたことにタナトスは今頃になって気づいた。 「お前、ど……」 『し〜っ! 声に出さなくても聞こえるわよ。私は今、あなたの『中』にいるんだから……』 (なっ!? お前、勝手に何を……) タナトスは口から言葉を紡ぐ代わりに、伝えたいことを心で強く思う。 そして、それだけで今の状態のリセットとタナトスは会話が可能だった。 『詳しいことは後で話すから、とにかく今は逃げるわよ! そいつから速く離れて!』 心底焦っているといった感じのリセットの心境がタナトスに直接伝わってくる。 (逃げる? 一体この人……魔族?……がどうしたと?) 「逃げられるのですか? ここで出会ったのも何かの縁、もっとゆっくりとお話しましょう、色定まらぬお方……」 『ちっ! バレてる!?』 「私は元から目で『視ていない』のですから、隠れても意味がないと思いませんか?」 翠色の人物は上品に笑った。 「ああっ! そういえばそうだった!」 ポン!という心地よい音と共に、タナトスの背中からリセットが飛び出す。 「そうよ! 今の私もタナトスも普通は視えない存在だったのよね! 隠れても意味無いじゃないのよ!」 「リセット?」 リセットの焦りや混乱といった感情が、すでにリセットとタナトスは分かれはずなのに、直接流れてきた。 「今の私達には音も匂いもないのに、何で捉えたっていうのよ!?」 「風が教えてくれます……エーテルの流れの乱れを我が肌に伝えてくれるのです……」 「触覚感知!? それも霊的、エネルギー的存在の……まずい!」 リセットは突然タナトスを抱き締めると、自らの背中に虹色に輝く翼を出現させる。 「リセット!?」 「しっかり捕まってて、タナトス! 全力で逃げるわよ!」 「捕まえているのはお前の方……うっ!?」 タナトスに有無も言わせずに、リセットは翼を羽ばたかせて飛翔した。 一瞬にして景色が変わる。 一度の羽ばたきで、いったいどれだけの距離を飛んだのか? 正確には解らないが、物凄い速さで飛行したということだけはタナトスには感覚的に解った。 「ここまで逃げれば……」 「なるほど、音速で飛べるのですか? ですが、魔界には光速で飛べる方も居るのですよ」 リセットが飛んで向かう方向に、待ち構えるように翠色の人物が立っている。 「それに比べれば、私の速さなど風の速さ程度……比べるまでもない脆弱なものです」 「音の速さと風の速さ?」 どっちの方が速かっただろうか? 光速、光なら、比べものにならない程、間違いなく風よりも音よりも遙かに速いのは間違いないのだが……そもそも、音というのは空気の振動が……などということをタナトスが考えていると、 「きゃああああっ!?」 凄まじい風が、リセットとタナトスを地面に向けて叩き落とした。 普通の風ではない。 魔界に来てから、タナトスは風を『感じる』ことはあっても、風に『流される』ことはなかったのだ。 今の自分には物質的な肉体がないのだから、風の影響を受けるはずは本来ないのである。 肉体があった時の名残からか、風を感じる……ような気がすることはあっても、実際に風に物理的影響を受けることはあり得なかった。 「さて、ではゆっくりとお話をしましょうか、不思議なお二方……」 「むぅ……」 リセットの虹色の翼が、翠色の人物から、守るように、隠すようにタナトスを包み込む。 「そう警戒なさらずに……ああ、名乗りが遅れましたね。私はセリュール・ルーツと申します。どうぞ、気軽にセルとでもお呼びください」 翠色の人物はどこまでも穏やかで優しげな笑顔で自らの名を告げた。 一言感想板 一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。 |