デス・オーバチュア
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ネツァクの体を斜め一文字に切り裂いた異界竜の牙は、柄をネツァクに掴まれたまま、彼女を引きずるように外へ飛び出そうとした。 「たかが牙一本が図に乗るなっ! ソードスパイラル!」 ネメシスが叫んだ瞬間、金属同士が擦れ合うような鈍い音が響き渡る。 「硬っ!」 ネメシスは痛そうな表情で左手首をブンブンと振っていた。 「当たり前です。硬度では相手の方が上なんですから」 ヘスティアは少し呆れたような表情で呟くと左手を振り上げる。 「ライトニングスラッシュ」 ヘスティアの左の手刀から吹き出した光輝の刃が異界竜の牙を叩き伏せた。 「どんな名剣も主なければその真価は発揮できないものです」 ヘスティアの右手から吹き出した光輝の奔流は異界竜の牙に絡み付くと『鎖』に変化し、異界竜の牙を壁に貼り付けにする。 「眠りなさい……あなたを満足させてくれる真なる主が現れるその時まで……」 ヘスティアは優雅な仕草で異界竜の牙に背中を向けた。 「姉さん……格好良すぎ……」 「……さて、あなたのお友達……大丈夫でしょうか?」 ヘスティアは、床にうつ伏せに倒れているネツァクの前に座り込む。 「大丈夫だよ、ネツァクもただの人間じゃないし、このくらいじゃくたばらないって」 ネメシスは気軽な感じで答えた。 「……ネメシス、あなたは彼女と契約するつもりはないのですか?」 ヘスティアは真剣な表情でネメシスに尋ねる。 「アトロポス姉さんと同じことを言うね……駄目だよ。ネツァクのことは割と気に入っているけど……彼女にはあたしと契約するのに決定的に足りないものがある」 「それは?」 「激情……激しい負の感情……それが決定的に足りないのよ。ネツァクは人間に嫌悪や絶望はしていても、激しい憎悪や怒りを燃やしていない……それではあたしの真価は発揮できない。九神剣最強の攻撃力を誇る、復讐を司る神剣イノセントドーン(無垢なる黎明)の真価をね!」 ネメシスは赤い唇に艶絶な笑みを浮かべていた。 広大な空。 その空を駈ける城が二つある。 一つは浮遊都市であるクリアの王城。 もう一つは、誰もその名も、その存在すら知らない、たった一人の男のためだけの居城。 支配する民を持たぬ代わりに、何者にも支配されないたった一人の王の住む場所。 その城の最奥。 王座には黒と銀を基本とした王族のような豪奢な衣装を着こなした、漆黒の長髪と瞳の男が座っている。 玉座の傍らには水色の半透明な剣が、床に突き刺さるわけでも、何かにもたれかかるわけでもなく、独りでに立っていた。 まるで、王の傍らに控えるかのように……。 『流石はヘスティア姉上……』 玉座に座る男の脳裏に姿なき女の声が響いた。 「異界竜の牙とは随分と気の遠くなるような骨董品が残っていたものですね」 男は女の声に答えるかのように呟く。 『はい。人間はおろか、現存する神族や魔族でも知る者は殆ど居ない太古……いえ、最古の御伽話の存在……』 「それはあなた達も同じことでしょう」 男は口元に意地の悪げな笑みを浮かべた。 「確かに、私達の原初の存在を指すのならその通りですが……私達は『彼』のような太古の遺物ではなく、今を生きるモノです」 「そうでしたね。あなたを遺物とするなら、あなたと一つである私もまた遺物になってしまいますしね」 男は口元の笑みを深めると、玉座から立ち上がる。 「では、行きましょうか、トゥールフレイム(真実の炎)」 『はい、お館様』 水色の半透明な剣は水色の炎に変化すると、人の形を形成した。 透き通るような水色の長髪の、両目を閉ざした美女。 水色の髪の美女は、歩き出した男の三歩後ろをついていく。 「アトロポス」 男は開け放たれていた窓の前まで辿り着くと、背後の水色の髪の美女アトロポスを手招きした。 アトロポスは足音一つ立たずに静かに男の横に辿り着く。 男はアトロポスを抱き上げた。 アトロポスは男の首に両手を回す。 「さて……」 バサッという羽ばたきの音と共に、男の背中に漆黒の翼が生まれていた。 「自分の翼で飛ぶのは久し振りですね……飛び方を忘れていないといいのですが」 男は自嘲とも苦笑ともつかない笑みをもらしながら、翼を羽ばたかせる。 「まあ、クリアへ……真下に落ちるだけですから問題ないですね」 黒い翼の天使はアトロポスを抱きかかえたまま窓の外へと迷わず飛び降りた。 「……んっ」 「気づいたか?」 目を覚ましたネツァクが最初に見たのはルーファスの顔だった。 「……わ……私は……斬られて?」 ネツァクは自らの胸に右手を添える。 だが、ネツァクの胸には疵痕一つなかった。 「ん?」 「ヘスティアに感謝するんだな。ネメシスには回復系の能力は無いし、俺はお前を助けてやる義理も慈善事業する趣味もない」 「…………」 つまり、自分を助けたのはヘスティアというネメシスの姉らしい女性で、目の前のこの男は自分を見捨てるつもりだった……らしい。 「……状況は一応理解した」 「そっか。じゃあ、ほれ」 ルーファスは一振りの剣をネメシスに投げ渡した。 純白の柄と唾と鞘、紫の宝石が唾の中心と鞘にいくつか埋め込まれ、紫色の紋様が彫り込まれている。 「前の面影も無いが……」 「前よりいい素材にしたんだよ、柄や唾も……その上、サービスで専用の鞘まで作ってやった」 ネツァクはルーファスの声を聞き流しながら、剣を鞘から抜いた。 以前の剣と同じ紫水晶できた刀身が姿を現す。 「まあ、そっちの刃の部分はあくまで飾りだ。それでも、前より上質の水晶だがな」 「……いい仕事だ。感謝する」 ネツァクは剣を鞘に収めた。 「ほい、これ取扱説明書」 ルーファスは掌サイズの本をネツァクに投げ渡す。 「ちゃんと熟読しておけよ。いろいろと仕掛けを加えておいたからな」 「……解った」 ネツァクは受け取った本を懐にしまった。 「ああ、そうだ地下にあった好きな武器を持っていってもいいぞ。ただし、使いこなせる武器だけな」 そう言うと、ルーファスは意地悪く笑う。 「いや、私はこの一本だけでいい……身の程を知らぬとどうなるのか身をもって知ったばかりだからな」 「そうか、じゃあ、もう行け」 「……世話になった……あ、金は……」 「いらねえよ。それに俺の武器は金額なんてつけられないからな。てわけで、用が済んだならさっさと帰れ」 ルーファスは犬でも追い払うように手を振った。 「……ネメシスは?」 「ヘスティアとまだ話があるんだろう、いいからもう帰れよ」 「……解った。本当に世話になった。借りはいずれ返す」 ネツァクは立ち上がると、剣を腰のベルトに差し込む。 「期待しないで待ってるよ、ネツァク・ハニエル」 「……では、失礼する」 ネツァクは一度も名乗っていないのにルーファスが自分の名前を知っていることを不思議に思うこともなく、小屋を後にした。 「フローラがお姉様のためにお花を摘んでいた時のことですの。空から黒い翼の天使様が降りてきたんですの」 以上、フローラ・ライブ・ハイオール嬢(一四歳)の証言より抜粋。 コクマ・ラツィエルは地上に降り立つと同時に、背中の翼を消し去り、王族のような豪奢な衣装からいつもの漆黒の牧師のような格好に姿を変えた。 「あなたの大切な花園を荒らしてしまって、大変失礼致しました、若草色の髪のお嬢さん」 コクマは、花畑に座り込んで呆然と自分を見つめている少女に手を差し出す。 若草色の髪、エメラルド(翠緑玉)の瞳、まだ幼い顔立ちのとても愛らしい少女だった。 「……え? えっと、大丈夫ですの、お花さん達も殆ど踏まれていないですし……えっと、その……」 コクマは、緊張して上手く喋れない様子の少女に、優しげな笑みを向けた。 「落ち着いてゆっくり話してくれればいいんですよ」 「は……はいですの」 少女は頬を赤くして俯きながらも返事をする。 「あまり、フローラを誑かさないでいただけますか? 天使様? それとも牧師様?」 軽やかな声がコクマと少女フローラの間に割り込んだ。 コクマは声のした方に視線を向ける。 てっきり、ここに居たのは若草色の髪の少女フローラだけかと思っていたが、少し離れた場所にもう一人居た。 フローラよりは少しばかり年上と思われる金髪の少女。 少女は、この花畑にテーブルとイスを用意し、優雅に紅茶を楽しんでいた。 「…………」 『……お館様?』 コクマの三歩後ろに無言で控えていたアトロポスは、少女を見つめたまま唐突に沈黙してしまった主人に思念で話しかける。 「ああ、そうでした……」 コクマはアトロポスの声で我にかえったかのように、改めて金髪の少女に向かって話しかけた。 「……大変失礼しました。あなたがあまりに昔の知り合いの少女に似ていましたもので……」 「あら、そうなんですか?」 「はい」 コクマはフローラの相手をアトロポスに任せると、金髪の少女に近づいていく。 「改めまして、ルヴィーラ・フォン・ルーヴェと申します。お名前をお尋ねてして宜しいでしょうか?」 「ダイヤモンド・クリア・エンジェリックですわ。救世主教の牧師様をしていらっしゃるのかしら? それとも、聖十字教の神父様?」 「いえ、よく誤解されますが、これは学士の服なのですよ」 「あら、失礼、学士……学者様でしたの?」 「お気になさらず、最近の学士はもっと派手な格好が主流ですからね。でも、まあ神父や牧師にしては十字架をしていないでしょ? 私は神に祈る奇特な趣味は持ち合わせていないもので……」 「奇遇ですわね、それは私もですわ。神など祈っても何もしてくれませんものね」 「ええ、信心深き者にも信心無き者にも、善人にも悪人も、平等に接する……つまり何もしないからこそ『神』というものでしょう」 ダイヤは、コクマの言葉に、上品にそして楽しげに笑った。 「本当にお話がよく合いそうですわね……宜しければ、私の屋敷にいらっしゃいません? もっとゆっくりとお話したいですわ」 「宜しいのですか? 私のような空が降りてくるような怪しい者を誘われて?」 コクマは口元に楽しげな微笑を浮かべる。 「あら、私のお兄様も似たような者ですから、お気になさることはありませんわ」 「それはまた……素敵なお兄様なようですね?」 「ええ、自慢の兄ですわ。では、誘いを受けていただけるかしら?」 「ええ、そこまで誘っていただけるのなら、お断りするのはかえって失礼というものでしょう。喜んでお伺いさせていただきます」 「嬉しいですわ。フローラ、あなたはどうないます?」 ダイヤは、いつのまにかうち解けたのか、アトロポスと仲良く花輪を作っているフローラに声をかけた。 「フローラはもう少しここにいますの」 「……アトロポス」 「心得ています」 アトロポスは名前を呼ばれただけで全て解ったかのように頷く。 「上手ですの、アトロポス。本当に目が見えていないんですの? 薄目を空けていたりしてませんの?」 「要は慣れです。世界には音も臭いもある、そして体に感じる大気の揺らぎ……目など使う必要もないのです」 フローラは、自分よりもスムーズに花輪を作るアトロポスを尊敬したように見つめていた。 「あなたのお連れ様とフローラもいつのまにか仲良くなられたみたいですわね」 「彼女は気難しい娘ですが、無邪気な子供にきつく当たるほどひねくれてはいませんから、安心してくれて結構ですよ」 「そのようですわね、では、私達は参りましょうか」 ダイヤは上品で楽しげな笑みを浮かべたまま踵を返す。 「ええ、お邪魔させていただきます」 ダイヤとコクマは連れだって、花畑を後にした。 一言感想板 一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。 |